――――紅瀬桐葉――――
今日、また強制睡眠の兆候が現れた。私は用意していた大きなバッグを肩に掛けて孝平の部屋へと向かう。
彼の言い分はこうだ。
「つまり、全身が猫であれば文句は無い訳だ」
そもそも寝ている間に手出ししないという話ではなかったか。いや、私としてはそれすら構わないのだけど。
寝ている私の全身を好きにしてくれても、相手が孝平ならば何の問題も無い。あの約束を破棄してくれと頼まれれば、多少の回りくどいやりとりはあっても私はきっと了承するだろう。
ひたすら長い時間、眠っている私の傍に居てくれるのだから、それくらいの役得は有るべきだとすら思うのだが。
「本当にそれでいいのね?」
「もちろんだ」
私が一応確認すると、彼は迷いなく頷いた。そう望むのなら、私としては特別反対する理由も無い。
全身が猫だなんて、何が面白いのか私には理解できないけれど、それを彼が望むのならばそうするまでだ。
――――支倉孝平――――
俺は今、激しく後悔している。
桐葉はリクエストに応えて猫の着ぐるみ姿で俺の膝の上で寝ている。全身、触り放題だ。
だが、触って何が楽しいのだろう?
「……意味ねぇ。分かっててやってるだろ」
彼女は答えない。当たり前だ。既に三十分ほど前から深い眠りに落ちている。何をしても目覚めはしない。
そう、何をしてもだ。
「もし限界になったら、好きにしてくれて構わないわ」
どう頑張っても締まらない猫の着ぐるみ姿の桐葉が、挑戦的な笑みを浮かべて言った。もちろん俺は、冗談じゃないと答える。
「約束は破らない。だが目的は果たす!」
「そう。……私はそれでも構わないけど」
どうせ無理だろう、という含みがあるのは明らかだ。受けて立つのが男というもの。
しかし、戦況はあまりに不利だった。
前回は散々楽しませてもらった瑞々しい黒髪も、やけにファンシーな猫の頭の中に隠されてしまっている。ほぼ全身がご同様であり、触る事は可能なのだが手触りは分厚い着ぐるみそのもので、桐葉自身に触れる事は全く不可能だった。
前回は髪の手触りと、仄かな香りと、更に目に嬉しい光景で楽しませてもらったのだが。今回は唯一露出している顔を眺めているくらいしか無くて、しかもそこだけは触れる事が許されない。
本人は許しているのだが、俺のプライドが断じて許さないのだ。
「あと、何分くらいかかるんだ。まさかまた3時間とか寝てないだろうな……?」
早くも泣き言を漏らす俺の言葉が聞こえたのかどうかはともかく、桐葉は前回とは違い3時間ではなく4時間後に目を覚ました。
本人曰く余程気持ちよかったらしいのだが、こちらとしては嬉しいやら辛いやらで何とも微妙なところである。
――――紅瀬桐葉――――
昨日の着ぐるみは不評だった。予想通りである。だから言ったのだ。
とはいえ、言葉が足りなかったのは認める。半分わざとだった事も、認めるけれど。それでも自業自得なのだ。意地を張るからそうなる。
――つまり私は、我慢できずに襲い掛かって欲しいのだろうか。行動そのものはともかく、その根底にどんな意図があるのか自分でもハッキリしない。
となると、試してみればいいのだろう。襲い掛かられて、嬉しいと感じる様なら、つまりそういうことなのだ。
――――支倉孝平――――
「つまり、俺にどうして欲しいんだ……?」
頭を抱える俺の膝の上で、今日も桐葉はネコミミと尻尾を付けていつも通り丸くなって眠っている。
ただし、本日は加えて何故か水着姿だ。
「以前、見たいと言っていたのを思い出しただけよ。見ることしか出来ないなら、丁度いいでしょう? 存分に見てくれて構わないわ」
もちろん見てるだけ、お触り厳禁。生殺しもいいところだ。ダメージが爆発的に上昇するだけである。
更に桐葉は、眠りに落ちる寸前にこんな事を呟いた。
「産毛、も……体毛の……と考え……毛皮とも……頭髪だけ……とは……」
寝ぼけておかしな事を言っているだけだ、と何度思おうとしたか。しかし、現実に彼女の肌も露な姿が目の前にあってどう耐えろというのか。
とりあえず髪を撫でてみる。しかし初日のように集中は出来ない。悶々と考えてしまうのは、色々な行為に対する言い訳ばかり。
つまるところ、頭以外の毛の生えたところといえば……?
――――紅瀬桐葉――――
孝平の手が私の腕を掴み、持ち上げる。
怖いくらい予想通りだ。腕には産毛が生えている。それでも掴むくらいしか自分を許せない。なら、もっと大規模に生えていればどうか? 彼の思考は、恐らくそんなところだろう。
もちろん、私の腋に何かがある訳も無く。それどころか彼は気付くだろう、私の腕には一本の産毛も無いことに。そして気付いた後は――
「……桐葉」
呼びかけられても、私は寝ているのだから答えるはずが無い。それは分かっているはずなのに、孝平は何故かジッと待っている。強い視線を感じた。
「桐葉、起きてるんだろう?」
私は答えない。起きているはずが無いから。
「いつも自分は意識が無いんだから、どういう状態になるかなんて分かる訳が無いよな」
声の調子は、いつもとそれほど変わらない。怒っている訳ではないらしい。孝平の声には僅かに確信するような響きが感じられた。
だが、芝居をして確認しているだけかも知れない。ここはもう少し様子を見て――。
「強制睡眠の場合、段々と呼吸も脈も落ちていくんだ。なのに、どうして今日は逆行してるんだろうな」
「……普通の睡眠かも知れないでしょう。勘違いだってあるわ」
仕方なく、私は答えた。ただし目は閉じたまま。
「なら、特定のタイミングで鼓動が強くなるのはどう説明するんだ?」
「私にも分からない法則が、まだ何かあるようね」
「ちなみに今喋っているのは……」
「寝言」
「頑固者め」
「お互い様よ」
誤魔化すとか、謝るとか、そんなものは飛ばして私たちは和んでしまった。
でも、彼はどうやら厳密に落ち着いているとは言い難い状態らしい。
「寝言が言えるなら、強制睡眠ではないんだよな?」
「どうかしら。どちらであれ、寝ている間の記憶なんて無いのだから、何とも言いようが無いわ」
「まあ受け答えが可能ならどっちだって良いさ。……色々と悪戯しても構わないかな?」
「好きにすればいいでしょう」
「分かった」
他の誰かの答えなら、彼はきっと引き下がる。
ただし、私たちの間でこの会話は肯定の意味だけを持つものだった。
かくして私の疑問は解消されたのである。その答えは、もちろん言うまでも無い。
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- 2008/06/16(月) 01:56:03|
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