「要らないでしょう、そんなもの」
「確かに桐葉は歳を取らないし、今までは不要だったかも知れない。だけど、今なら分かると思うんだ。……俺は、二人の思い出を出来るだけ残していきたいと思う」
永遠を生きる彼女に、俺が居なくなっても思い出を形にして残せたら――。言葉にはせず、心の中でそう付け加えた。
桐葉は迷うように視線を泳がせながら、それでも何とか自分を納得させようとしている風だった。何か、俺の言葉以上に気になる事があるらしい。
「ちなみに、カメラで撮っても魂は抜かれないぞ?」
冗談で言ったのだが、桐葉は驚いたように無防備な顔をしたかと思うと拗ねたようにそっぽを向いた。図星だったらしい。
まあそんなこんなで。条件付きながら『桐葉さん携帯電話マスター』企画、メールに続く第二弾『カメラ機能編』がスタートしたのだった。
―――― 一ヵ月後――――
目の前で展開されている光景に、俺は生唾を飲み込む。ただし、それは自分自身の手でなされている事だ。
「どうしたの?」
「い、いや。なんでもない」
いつもどおりの落ち着いた声で「そう」と納得して見せるものの、そのまま俺の顔に視線を固定している桐葉。その視線の先で、俺は彼女の服を一枚一枚脱がしている。
――携帯電話のカメラ機能を、俺に教わらずにマスター出来たら何でも言う事を聞く。そう約束して、今のこの状況があった。
「絶対に、なんでも?」
その場のノリだけだった俺の言葉に、彼女は真剣な目で確認するように問いかける。
「か、可能な限り」
いつも無気力と言って良いほど物事に関心の無い桐葉だが、食いつくと何処までもしつこかったりする。どうも負けず嫌いな部分が関係しているらしいが。
彼女がそんな心理状態に入った時、俺は決まって迫力に圧されて生返事がやっとなのだった。
「とはいえ金のかかる事なら限度があるぞ? 無い袖は振れないからな」
例え甲斐性無しと罵られようが、バイト禁止な学生の身分では仕方が無い。そう自分に言い訳などしつつ一応は保険を掛けておくのだが、桐葉は動じる事無くたおやかに微笑んだ。
「分かっているわ。私が望むものは、あなただからこそ嬉しい『行為』だもの」
当然ながら毎夜のように繰り返される『行為』を脳裏に浮かべる俺。それは生理現象に近く、まあ男なら仕方あるまい。もちろん、新たなプレイを――などという望みも有り得るのだが、改めての望みとなれば、きっと他の何かだろう。
それから一ヶ月ほど経つと、四苦八苦しながらも俺には聞かず陽菜にばかり(瑛里華会長に聞くのはプライドが許さなかったらしい)教えを請い続けた桐葉は何とかカメラ機能をマスターした。
そして、その結果がこれだ。
もちろん、脱がしてくれ、なんて生易しい要求ではない。
丸一日、お互いの身の回りのことをすべて相手にしてもらう事、というとんでもないものだ。
朝はお互いの歯を磨き、互いに朝飯を食べさせ。更に昨晩は桐葉もこの部屋に泊まったから、外出する前に着替えなくてはならない。
で、この状況である。
「あれ。下着が見当たらないぞ……?」
ついに下着のみの姿になった桐葉を前に、ベットの上に広げた衣服を確認する。確かに無い。
「昨晩、お風呂に入って着替えたから要らないわ。普通、そうでしょう?」
言われてみれば確かにそうだった。自分でも、朝にもう一度下着を替える習慣など無い。納得しつつも、俺は少しだけガッカリした。
そんな俺の様子を眺めながら、桐葉は少し考え込むようにして溜息を吐いた。
「仕方ないわね。貴方がそれを望むなら、別に構わないわ」
そっぽを向いて、僅かに頬を染める。――ちなみに、改めて用意せずともこの部屋には彼女の下着が僅かながら置いてあった。その理由は、言わずもがなである。
「い、いや趣旨が違うだろ。今日はこれからデートだし」
「貴方が本当に、それでいいのなら。私はどちらでも」
何故か残念そうに聞こえる言葉だった。俺も、自分の言葉を即座に後悔する。恥ずかしがる必要なんて無いだろうに。ああ、実に勿体無い。
「……本当に見ていて飽きないわね、貴方は」
どうやら無意識に百面相をしていたらしく、桐葉は面白がるように控えめな笑みを浮かべるのだった。
さて、脱がせたら着せる作業である。
制服はともかく、私服については桐葉がスカートを穿く姿を見た事が無い。今日もそうだろうと漠然と考えていたのだが、何故かこういう日に限って膝下まである黒いスカートなど持ってきていた。
――普通、着せるにはスカートの方が楽だと思うだろう。だが相手は桐葉である。桐葉と言えば黒いストッキングで、季節も冬のど真ん中。たとえそうでなくとも、本人が否定しても、これだけは譲れん。
という訳で、まずは何よりストッキングを穿かせる事になった。
「……さっきの話だけど」
「何の話だ?」
「下着も替えるかどうか、という話よ。考えてみれば下着を脱いでストッキングを穿く、という選択肢もあるのね」
「…………………………無いだろ」
「考えたでしょう、今」
「否定はしない」
だが肯定するわけにもいかない。これから外へ出るのだ。デートなのだ。風だって吹くかも知れんのだ。他の誰かを楽しませる様な事は断じて出来ない。ただし、
「そのうち二人きりの時にしましょうか」
「……本気だったのかよ」
「さあ」
「あのな……」
「ただ、分かった事があるわ。貴方が照れていると、こちらは気が楽なのね。むしろ楽しいのかも知れない」
ベッドに腰掛けた桐葉の足元に跪き、慣れない作業を不器用ながらも懸命に続ける俺を明らかに面白がっている。俺も分かった事が一つ、脱がせるより着せる方が遥かにエッチだ。少なくとも俺にとっては。
こんな照れくさい作業を続けていれば、当然ながら手は汗ばむし顔は真っ赤。そんな男を相手にしていれば、自然と彼女の方は落ち着いてしまうのだろう。だからこそか、性的な事には控えめな性格をしているのに今日はやけに大胆な発言が目立つ。少なくとも主導権がいつもより彼女の側に行っているのは明らかだった。
少なからず嬉しく感じる部分も有り、明確に欲望が刺激されて興奮するものの、やはり悔しいという感情も僅かずつ膨れ上がっていく。
どこかで反撃は出来ないものか。そう思い少しでも顔を上げると、やはりそこには彼女の肌も顕な姿が視界を埋め尽くしているのだ。肌理の細かい高級真珠の様な光沢を持った、柔らかい肉付きの見事な脚線美の先、当然のように目が止まるのは純白の――。
「……手が止まっているわ」
「ズビバゼン」
鼻血が出たわけでもないのに、何となく鼻を啜りつつ視線を彼女の足へと戻す。
当然、足だって物凄く欲望を刺激する。そこにストッキングを穿かせる作業に戻るのだから、幸せではあるものの気は落ち着かない。見た目だけでなく、柔らかい足の手触りだって猛毒である。何しろ、作業と関係無ければ少し撫でる程度も厳禁なのだ。あくまで世話を焼く事しか許されておらず、生殺しも良い所である。つーかそろそろ限界。
「いつまで続くんだ、この拷問?」
「今日一日。……とりあえずは、穿かせ終わるまでね」
俺の視線の先を知ってか知らずか。
今だけは17歳に見えなくもない可愛らしい仕草で微笑みながら彼女は言った。
「やれやれ。やっと終わったか……」
フル装備で立ち上がった桐葉は、いつもの私服姿とあまり変わった印象が無いものの、長めのスカートのお陰でより女性らしい印象を受ける姿だ。少し可愛らしさを印象付けるような服装に仕上がっており、新たな魅力に思わず感嘆の声が漏れる。
彼女もご機嫌でくるくると回りながら自分の格好を鏡に映し、あまり聞き覚えの無い鼻歌まで聞こえてきた。
「やれば出来るじゃない」
「二度とやらん……」
「こういうのも悪くは無いでしょう。随分、興奮していたようだし」
言いながら、狼狽える俺を眺めつつ桐葉はまた明るい笑顔を見せた。
今日は本当によく笑う。それも瑛里華会長やかなでさんのような、楽しげで明るい笑顔だ。こんな役得があるのなら、多少の苦労や生殺しも許容せねばなるまい。
「少なくとも夜にもう一回は、よろしく」
「夜って事は、夜だからな。今度はただで済むと思うなよ」
「期待しているわ」
日が落ちればOKらしい。ともかくこの半端に高ぶった気持ちは、夜には成就するという事だ。それまでは何とか我慢しよう。何しろ今日は、彼女が頑張った事に対するご褒美なのだから。
俺の着替えが始まり、そして終わった。
彼女は眷属である。目をつぶり、万歳してジャンプしろと言われて、素直に従うと着地した時には着替えが完了していた。凄まじい手際である。一家に一台欲しい。まあ瑛里華会長でも同じことだろうが。
しかし考えてみれば反撃のチャンスを奪われた訳で、俺としては味気なく物足りない。ちなみに服は俺の持ち物から選んだのだが、その中で見慣れない品物が一つ混じっていた。
「……こんなマフラー、あったか?」
首に巻かれている毛糸製の布きれは見覚えの無いもので、指先で触れてみればふわふわと柔らかい。市販品の、それも高級ブランド品の様な完成度だが、それにしては妙に温かみを感じるしデザインもシンプルだった。
いや、シンプルというより味も素っ気も無い。完全に無地。
デザイン性ゼロというか、デザインなんてそもそもされていないとも言える。妙にしっかりした編み目がミスマッチで、ただし落ち着いた感じは桐葉の立ち姿に通じる物があった。首に巻いていると、彼女と抱き合っている時を思い出し妙に胸が高鳴る。もちろん嫌味な感じではなく、胸の深い部分が仄かに暖まる感じ。
「私は用意されていた物を貴方に着せただけよ」
「いや、しかし……」
更に追求しようとして、桐葉の様子を見ると思いとどまる。そうせざるを得なかった。
「可愛い奴だな?」
「……っ。な、何のことかしら」
「素直じゃないなってことと、家庭的なのも魅力的なんじゃないかってとこだ」
「少なくとも裁縫は得意ね。あとは掃除と、料理も」
「辛くなければな」
ただし全て手動な、なんてツッコミは今日の気分に水を差しかねないので、違う言葉を選んでみた。
「慣れればいいのよ」
「……限度がある」
その辺はお互い歩み寄りが必要だろう。将来的な事まで考えれば、食卓を囲みながらも別の物を食べる――なんてのは何とも味気ない。俺が慣れるにしても限度はあるし、桐葉が味覚に刺激を得られる最低線もあるだろう。まあ、今すぐに必要な事でもないが。
「じゃあ行くか。デートに」
「ええ」
そう答えた彼女の首には、いつの間にやらマフラーが巻きつけてある。俺と同じデザインだ。
服のペアルックは照れくさくて、手編みのマフラーを手渡すのも照れくさくて、こういった回りくどい手段に出たのだろう。ルール違反ではあるが、ここは見逃してやるのが優しさか。
それにしても、俺が桐葉の頑張りに応えようという一日だったはずなのに。更に今日まで妙なところで頑張っているとなれば、こちらも負けてはいられなくなってきた。
「今日は楽しませてやるぞ。現代庶民の楽しみって奴を片っ端から教えてやる」
「期待しているわ」
部屋を出て鍵を閉めると、桐葉が俺の腕に手を絡めてきた。珍しい事ではなく、休日の外出時にはごく自然な事である。普段は校門を出てからなのだが、まあこんな日もたまにはあるさ。
しかしこうなると、デート自体はやましい事ではないが、桐葉が部屋に泊まった事は言い訳出来ないのに目撃されれば説明を求められる相手が居る。泊まりの事までは言わなければバレはしないと知りつつも、俺たちはシスター天池を警戒しつつ寮を出た。
更に校門を出てしまえば、もう邪魔する要素は何も無い。
そのまま、二人は町を目指した。今日という何でもない休日を最高の一日にするために。
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- 2008/05/30(金) 01:04:33|
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