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竹内麻巳SS倉庫

Canvas2というゲームで、美術部部長の竹内麻巳のSSを掲載していく予定です。

Chapter 7-1

 その日は放課後になり、美術部員の大半が部活に顔を出しても、竹内麻巳と鳳仙エリスは現れなかった。
 二人は、柳のアトリエへ行っている。
 それを指示し、段取りを組みさえした浩樹だが、何となく複雑な心境でもあった。自覚は無かったが、こうなってみてやっと気付く。指導者としての独占欲も、無くは無いということに。
「大した指導もしてないのにな……」
「はい? どうかしましたか?」
 自嘲気味な呟きは特に意識してのものではなかったが、それに気付いた副部長の田丸ひかりが不思議そうに尋ねてくる。
「いや、なんでもない。竹内が居ないからな、少し気が抜けているらしい。これじゃ怒られそうだ。顔でも洗ってくるよ」
 そう言って美術室を去る浩樹を、ひかりが控えめに呼び止めるが、構わなかった。

 美術室を出たところで霧と会った。彼女は浩樹と話がしたかったらしい。ここでは落ち着けないからと、二人は食堂へ場所を移す。
 適当に飲み物を買って、改めて浩樹が話を促すと、霧は言い難そうにしながらも話し出した。
「あの後、ね。二人きりになってから……慎ちゃんに告白された」
「そうか」
 何となく、その話だとは分かっていた。浩樹は特に反応を返さず、無意識に目を逸らしている自分に気付く。
 霧とはもう終わった。いや、始まってもいない。それを望んでいたはずなのに、自ら潰した。
 柳も、それを知っている。
 あの大きな過ちは、俺の考え無しな馬鹿な答えから始まったのだ――。浩樹は、それを改めて心に刻む。二度と繰り返さないために。もし自分の気持ちを答えとする場面がまた巡ってくるなら、今度こそは間違わないために。
「やっぱり、驚かないんだ?」
「ああ……」
 俯きながら、浩樹は誤魔化すようにストローを啜った。何となく言葉が継げず、気まずい沈黙が続く。
 ――撫子学園で再開した二人は、心に壁を作り、辛い過去に蓋をして、ようやく昔のように話せた。もちろん、それは厳密に同じ関係ではない。
 装って、居心地の良い一瞬を守ろうとしただけ。気心の知れた『幼馴染み』らしい関係ではなく、もちろん新しい『親友』という関係にすらなれはしなかった。
 分かっていたはずだ。だが、浩樹が明確に自覚したのは今が始めてだった。踏み込めぬまま表面だけの付き合いが続き、多くの友人の中に埋もれてしまう存在に成り果てようとも、せめてそれだけの絆でも残したいと感じていたのだろう。
「慎ちゃんね、強くなったよ。本当に。告白といっても、付き合って欲しいとかじゃなくて、なんというか……知っておいてもらいたかった、って。それだけで」
「そうか。アイツらしいな」
 そんな柳を大切に思う気持ちが、あの事件より前と同じ気持ちが確かにこの胸にはある。なのに、何故元には戻れないのか。自分はどうすれば良かったのか。あの夜はああ答えたものの、本当は明確な答えなど出ていなかった。
 知らず自問を繰り返す浩樹に、霧はゆっくりとかぶりを振った。
「違うよ。たぶん。浩樹の考えてるのとは違う」
「……どういう意味だ?」
「慎ちゃんは、本当に告白してくれたんだよ。全部を。浩樹があの時、断った理由を知って欲しいって、そう言ってたの」
 さすがに言葉を返せず、浩樹は押し黙った。構わずに霧は後を続ける。
「どうして今更、って私も聞いた。そうしたらね、現状維持は逃げでしかないんだよ、って……」
 浩樹は、側頭部をハンマーで殴られたような衝撃を感じた。
 夜の公園で柳が言った言葉を思い出す。絵を見てくれと、強い決意に満ちた目は有無を言わさぬものだった。浩樹は拒否する気も無かったが、頭が答えを出す前に勝手に肯定の意思が漏れてしまった。
 あれから随分時間が経ったというのに、自分は現状に慣れただけで立ち止まったままだ。茨の道を切り開いて、傷だらけになりながら進むあいつに、追いつこうとすらしていない。
 それを思い知らされ、なお敗北感より先に立つものは誇らしさだった。そんな自分を嘲笑するように、浩樹は薄く笑みを零す。
「確かに成長したみたいだな。俺とは大違いだ。もう怒ってる訳じゃないが、全部を割り切れたりはしない。俺は、アイツよりずっと弱い……」
 霧の言葉に、柳の強さにではない。自分の心で傷ついている。ハリネズミでも自分の針で自分を刺す愚などそうは犯さないというのに。
 浩樹は自分を追い詰める思考を止められなかった。止める気も無かった。その間、霧は気まずく黙っている。しかし、その沈黙の意味は別のところにあった。
「私はまだ、浩樹のことが好き……だよ」
 時間がかかったのはこのためだった。思いつめた瞳で浩樹を見つめたまま、胸のうちを吐き出す霧。その表情は期待に満ちたものではなく、悲壮感に満ちていた。分かっているのだろう、自分でも。
 戻るにしろ進むにしろ、一歩を踏み出さなければいずれ気まずくなり、別れてしまう時が来る。それが嫌だと強く思うからこそ、霧はこうして本心を語ってくれている。浩樹もまた、同じように離したくない絆だと感じるならば、答えを見せるしか術は無かった。
 彼女の期待しない、しかし想定していたであろう光景そのままに、浩樹はぎこちなく首を振った。
「嬉しいよ。でも、そういうことは考えられない。今は、勘弁してくれ……。すまん」
 正面からぶつかり、決着を望んだ彼女に、しかし浩樹は遠まわしにしか答えられなかった。それが、今の自分には限界なのだと痛感する。
 それでも結果的には良かったのかも知れない。もう愛しい気持ちとは違うとしても、やはり大切な人。その彼女を不必要に傷つけることも無いまま、気持ちだけは伝わったのだ。
「そっか……。そうだよね」
「ああ。今は手のかかる奴が一杯いるからな。自分の事は、どうしても後回しになっちまう」
 麻巳が『心外です。手がかかるのは顧問の誰かさんだと思いますけど』などと怒る姿を想像しながら言った浩樹は、そのお陰で漏れた笑顔に感謝した。自然、緊迫していた場の空気が緩む。
 自覚無く、居ても居なくても、アイツはいつも俺を助けてくれるな。何も出来ない駄目な師匠だというのに――。
「あははは……。まあ、仕方ない、かな。忙しいんだよね、色々と。全てがあの頃とは違っちゃってるんだよね」
 影響されてなんとか笑顔を作れた霧の言葉は、自らを言い聞かせるようにも聞こえた。
「もう、一番近くに居るの、私じゃなくなっちゃったんだよね……」
 霧は泣きそうに顔を歪ませ、それでも顔を伏せすらせずに堪えて見せた。
 比べてどうだ。貴様もせめて、ハッキリと拒絶してみせろ。――彼女の心の声ではなく、それはきっと俺自身が自らに強いるケジメだ。
 或いはあの頃、自分が諦めずに押し続けられれば全てが起こらなかったのではないかと――。そんな思考すら想像する。これは、きっとそうだろう。同じ事を考えてきたのだから、痛いほど分かる。もちろん想像は想像でしかない。しかしやはり、ここで決着とするためにもう一押しが必要だと、浩樹は今度こそ決意した。
「ごめんな。本当に。何て答えればいいのか分からない。でも、きっと……もう、俺の気持ちはあの頃とは違うと思う。それだけは、ハッキリ言っておくべきだと思うんだ」
 再び開いた口は、意外なほど滑らかに言葉を紡いだ。一度は弛緩した空気のお陰か。浩樹はもう一度、ここには居ない麻巳に感謝した。
 浩樹はあえて霧の顔を見つめ、もう逃げないという意思を示す。ついに耐えかねたか霧のすすり泣く声が響き、浩樹の耳を打った。ともすれば抱き締めてやりたいと、さすがに心が揺れる。何年も思い続けた人だ、それも当然だった。
 だが、自分にはそれが許されないからと、ただただ耐える。
 初恋の相手。自分の全てを捧げて絵を描いた、その根源だった女(ひと)。それを拒絶したのだという事実が、今更の様に重くのしかかった。
 苦しい。苦しい。苦しい。ああ、これほどの重みを、あの時に何故感じることが出来なかったのだろう――。
 しかし、だからこそ今はこの答えしか無かった。半端なことは出来ない。自分の気持ちだけは、最初の最初に気づいていたから。霧と再会した時、昔のような胸の疼きを感じなかったから。もう終わったのだと、その時から理解していた。
「ごめんな。本当に」
 浩樹が改めて言うと、霧は懸命に涙を拭った。
「ううん、いいよ。ちゃんと決着がついてなかったんだって、分かってなかったみたいだけど。これで自分でも理解出来たんだとおもう。これを決着に出来ると、今度こそ終わりなんだと、思うから」
「何というか、その、な……」
 嫌いな訳じゃないんだ、と浩樹が言ってしまう直前。それを知っていたかのように、霧が慌てて声を上げた。
「と、ところでさっ!」
「あ、ああ」
「その……一番手間のかかる子達は、今ごろどうしてるのかな!?」
「さて、どうだろうな。上手くいくといいんだが……」
 窓の外、遠い空を見上げながら。エリスより先に麻巳の顔を思い浮かべる自分に、浩樹は微かな疑問を抱いていた。



 教師二人が心配を始めた頃、私たちは電車の中で他愛の無い話をしていた。
「お兄ちゃんを好きだったりはしませんよね?」
 女子高生が二人、盛り上がる話と言えば定番である。名門美術部の部長であろうと天才絵画少女であろうと、あまり代わり映えしない。
「突然なにを言い出すの」
 とはいえ絵画一筋で生きていた私にとって、自分が話のネタになるのは不慣れだ。内心の焦りを押し殺しながら何とか誤魔化すと、鳳仙さんは念を押すように言った。
「無いですよね!?」
「え、ええと。たぶん……」
 その迫力に圧倒されつつ、私は多少おっかなびっくりで答えた。それでも安心したらしく、鳳仙さんはホッと胸を撫で下ろす。
「良かった。霧さんだけでも大変なのに、もし部長まで参戦してきたらと思うと。正直、かなり大変ですから」
「そ、そうかしら。でも桔梗先生はともかく、万が一地球が一日に十回転しても有り得ないことだけど……私が上倉先生を好きでも、相手が鳳仙さんじゃ勝ち目なんて無いと思うわよ」
「そんなことないです。東先輩の言うとおりですね……。先輩、部員の事はよく分かってるのに。自分の事は全然分かって無い」
「そんなことは……」
 一目も憚らずエキサイトする彼女を宥める言葉も見つからず、やっとの思いでそれだけの言葉を口にしたものの、どうやら火に油を注ぐだけに終わったらしい。
「ありますっ! ――綺麗で颯爽として格好良くて、頭も良くて運動も出来て、優しくて面倒見もよくて世話好きだし。男女問わず人気で、何より今は霧さんよりもずっと、お兄ちゃんの傍に居るじゃないですか」
 彼女は身振り手振りまで交えながら、何故か必死になって私を説き伏せようとする。内心、料理は全く駄目だけどね、と付け足しておくが、当然ながら言葉にはしない。
 自分で言うのも何だが、私は褒められることには慣れていた。ただ、ここまで熱狂的に『良い子』という意味ではなく『大変魅力的な人物である』とか『あなたの事が大好きです』みたいな意味合いでは、あまり記憶に無い。なまじ似たようなものに慣れているだけに、普段と違う物に触れると勝手が分からなくなった。
「何もそこまで……ええと、大した人間でもないと思うけど」
 そこまで手放しに褒められても、私のような凡庸な人間にしてみればむしろ気持ちが悪かった。もちろん嬉しい気持ちも、確かにあるのだけど。
「それなら鳳仙さんの方がよっぽど……」
「まあ能力のことはともかく」
 突然の話題転換に冷や汗を垂らす私を無視して、彼女は更に続けた。
「何より、学校で私がお兄ちゃんを探してもなかなか見つからないのに、部長に聞くとすぐに分かるんですよ。私は何年も一緒に暮らしていたのに、これは凄いことです」
「それは必要に迫られて身についてしまったというか……。あまり役には立たないし」
 謙遜ではない。見つけても、どうせ部活には出てくれないのが日常である。
「それは部活に限った話で、個人同士で考えればやっぱり凄いんです」
「そ、そう……」
 圧倒されっぱなしの私は、ともかく頷くしかない。
 しかし、私を褒めるにしても大好きなお兄ちゃんが基準なのか。つくづく、この子の価値観は徹底している。
「それに比べて撫子学園で再会してからの霧さんは、何故か一歩引いた感じで。どこか遠慮しているところがあるんです」
「……そうだったの?」
 私は恋愛に聡い方では無いが、それにしても考えたことすらない話だった。むしろ、色々と疑いかねないほど仲が良いように思えたが。
 まあ男女の関係というものは奥が深い。付き合うどころか、恋すらまだの私に気づける訳も無いか。
「でも、部長には全然そんなのありませんし」
 なるほど、確かに遠慮だけは微塵も無い。
「お兄ちゃんとは本音をぶつけ合っているように見えるし、つまり対等な関係だと思うんです。というか、むしろ部長が上に見える時もあるし」
「……本当に上なら、色々と苦労も無いわね」
 ここ一年ほどで積み重ねた、山のような苦労の記憶を手繰りつつ。
 どう見られているか深く考えるのが何となく怖くて、とりあえず考えるのを止めることにした。



 私たちが目的地に着くと、そこには想像していたよりずっと小さい家が立っていた。
 考えてみれば、新進気鋭と言えば聞こえが良いが、要するにまだ駆け出しな訳だ。専用のアトリエもある一軒家を所有しているだけでも、二十代中盤という年齢を考えれば相当なものである。
 ――物怖じしない、という意味では二人とも変わらなかった。特に押し付けあったりもせず、先輩の私が押そうかと思ったチャイムを、鳳仙さんが嬉々として押した。考えてみれば彼女には知り合いの家だ、適任と言えばそうなのだろう。
 しばらく待つと、柳画伯本人が扉を開けて現れた。一人暮らしだろうか。そういえば結婚はしていないはず。
「やあ、待っていたよ。あまり綺麗とは言えないけど……。二人とも、歓迎する」
 そもそも優しい感じの人だが、この時の表情は殊更に柔らかいものだった。少なくとも忙しい中で迷惑だったり、ということは無さそうだ。
「柳さん、お久しぶりです」
 ホッとしている私の隣で鳳仙さんがにこやかに挨拶すると、柳画伯が懐かしむように微笑んだ。
「エリスちゃんか。何年ぶりだろう、綺麗になったね」
 えへへ、と照れたように笑う鳳仙さん。
 こういう応対は、うちの顧問にも見習って欲しいものだ。まったく、同じ絵描きでこうも差があるものだろうか? 決して実力という意味ではなく。あくまで人間性という意味で。
「さあ、遠慮せずに上がって。殆どアトリエだから、家は狭いんだけどね。そっちは特に興味も無いだろうけど」
 私達は促されるまま、柳画伯の後に続いて玄関を潜った。



 専用のアトリエは一階のほぼ全てを占有していた。それでもまだ有名画家として特別広いとは言えないが、家の規模に比してはかなりの規模だった。それだけでも、彼が絵に全てを懸けていることが伝わってくる。
「うわぁ。絵の具の臭いが凄い。絵も一杯あるし……」
「さすがに本格的ですね」
 狭いながらもプロの仕事場として雰囲気は十分だった。鳳仙さんだけでなく、私もやや興奮気味。
 そんな私たちを、柳画伯は優しげに眺めている。よかった、特に気分を害した感じはない。私はお目付け役でもあるのだから、あまりはしゃぎ過ぎない様に注意しないと。
 改めて気を引き締めるが、そんな思考の間にも鳳仙さんは遠慮なくアトリエの中を歩き回ってあれこれと物色していた。
「鳳仙さん。あまり勝手に動き回るとご迷惑に……」
「いや、構わないよ。僕はあまり、描いているところを見せられるタイプじゃないからね。せめて、アトリエの中は自由に見てくれて構わない」
 私が注意しようとすると、柳画伯がやんわりとそう言った。
「わ~い。やっぱり柳さんは昔と変わらないな」
 ますます楽しそうにはしゃぐ鳳仙さんだったが、私はもう止めはしなかった。何しろ、彼女が派手に動くほど私が好きに動いても目立たなくなるのだ。
 だって仕方ないでしょう? 才能溢れるプロの画家が、毎日のように魂を燃やす勝負の場に立っているのだから。絵描きの端くれとして、気分が高揚しない方がおかしい。
 私たちは、昔の絵や描きかけの絵、使い古した道具などを見て大いに盛り上がった。柳画伯は、時折私が向ける質問に丁寧に答えつつも、口出しせずに静かに見守っていてくれた。
「これって……」
 やがて、鳳仙さんが一枚の絵に目を止める。
 布がかけられていたが、それを外してしまっていた。私はそれを咎めようとして――その絵を一目みると、そのまま固まってしまった。
 絵の雑誌で見たことがある。今見ると明白だった。モデルは桔梗先生だ。
 それは、このアトリエの主である柳画伯がプロの仲間入りを果たしたきっかけ。桜花展で入賞を果たした時の絵だった。
「どうしたんだい?」
 優しく尋ねる柳画伯の言葉で、私はやっと気づいた。自分が涙を流していることに。
「あ、あれ? どうしたのかな。なんで、私――」
 気付いて、慌てて拭うがなかなか止まってくれない。すると柳画伯が、何処からかタオルを持ってきてくれた。私はそれを受け取り、しばらく目に当てておく。こういう時、ゴシゴシと手荒にこすってはいけない。
「君は感受性が優れているんだね。……この絵は、奇跡なんだ。間違ってしまって、それを忘れようとして、でも忘れられなくて。ちゃんと立ち向かおうと、勇気を奮い起こしたその時に描かれた。そんな絵なんだ」
「勇気……ですか?」
「ああ。この絵は、逃げていた心がやっと真っ直ぐ前を向いた……そんな瞬間に描かれた心そのものなんだ。だから素晴らしい。僕にとっては、この世で一番の絵だよ」
 心に響いた漠然とした何か。その正体は、言葉にされると心の真ん中にすとんと綺麗に収まっていた。
 なんて純粋で強い思いだろう。技術を身につけ、それに寄りかかるばかりの自分にも、違う何かを見せてくれる。そんな気がした。
 でも、何故か違和感が残る。
 素晴らしい絵。それを語る、描いた本人の熱い思いを込められた言葉。だというのに、彼の言葉は何処と無く他人事のようにも聞こえた。
「信じて……たのに……」
 その時。私は鳳仙さんの呟きがよく聞こえず、それでも凄く気になって、タオルに押し付けていた顔を上げ彼女に視線を向けた。
 彼女は絵に見入りながら放心している。しかし、それは素晴らしい絵を前にしての感動によるものとは明らかに違っていた。
「なんで……? 柳さん……」
「なにが、かな?」
 鳳仙さんの問いに、疑問で返す柳画伯。しかし、彼の表情に疑問の色は無い。
 異様なほど落ち着いた――色の無い表情の彼は、何もかも分かっている風にも見えた。
「私には、分かるの」
 或いは言葉にすることに躊躇いでもあるのか。掠れた声で、素人の綱渡りのような拙い調子で彼女は言葉を進める。
 そしてその先は、やはり転落だった。
「見間違えたりしない。これは、お兄ちゃんの絵だ」
 彼女の言葉の意味が、私には分からなかった。ただ呆然と、その虚ろな瞳を見つめることしか出来ない。
 油の切れた機械のように不自由な首を動かし、私は精一杯の力を込めて視線を絵に向け直した。
 分からないのは当然だった。考えてみれば、私は先生が本気で描いた絵を一つも見たことが無い。
 見たいと思った。何度も何度も、それこそどんなに拒まれてもしつこく懇願出来ればと思った。
 どんなに怠慢でも、本気で指導すれば誰より上手くて、それにいつも暖かく見守ってくれる人。恐らく人生にたった一人の、師と呼べる人なのだから。
 でも、話を切り出そうとする度に悲しそうな顔をされては、先が言えなかった。
 心の底に仕舞い込んだ欲求。それが、この目の前の絵?
 この素晴らしい絵が、憧れた上倉先生の絵だと言われて、何故か疑問も持たずに納得する。そう、彼と接してきた日々が教えてくれた。時折見せる温かみ、包み込むような優しさ。彼の魅力が、この絵からはそのまま伝わってくる。
 でも、同時にこれは柳画伯のデビュー作のはずで――。
「そうだよ。やはり君にだけは分かるんだね」
 彼は混乱する私の目の前で、朝食のメニューでも答える様に淡々と、とんでもないことを告白した。

























少しでも楽しめたら、押してみてくれると作者が喜びます。





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テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/04/26(土) 01:48:52|
  2. 第七話

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