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竹内麻巳SS倉庫

Canvas2というゲームで、美術部部長の竹内麻巳のSSを掲載していく予定です。

苦労は作者だけでなく

「せんせー」
 廊下を歩いていると、後から声をかけられた。
「ねーねー、せーんーせーいーっ!」
 この聞きなれた声は、考えるまでも無く奴だ。俺限定、会うと必ず苦労する生徒ランキング二位のちびっ子小説化である。
 確かに一位には大きく劣るが、面倒である事には変わり無い。
 特徴的なイントネーションは実に友好的で、心の壁を容易く溶解させる力を持っており、さらに人物の特定に労を強いない素晴らしいものだが――どうせまたロクでもない話を持ってきたに違いないのだ。俺はやや早足になって逃走を試みる。
「むー。……えいっ☆」
「ぐほっ!?」
 しかし、そんな俺の腰の辺りに真後ろから体当たりが敢行された。
「イキナリナニヲスル……」
 あまりの衝撃に息を詰まらせた俺が一時的な片言で応対すると、襲撃者の萩野可奈は悪びれるどころかチャームポイントの八重歯を見せびらかし、子供っぽい大げさな笑顔で言った。
「せんせー、ゲットだぜ♪」
「……」
「何かツッコミ無いと果てしなく寒い人なんですけどー」
「そうだな」
「むー。なんか先生が冷たい」
「知るか。で、今度はどんな厄介ごとだ?」
「やっぱり先生と私は以心伝心なんだね。話が早くて助かるなー。これも愛の成せる業? なんちゃって」
「……用が無いなら行くぞ」
「ありますありますっ! えっとですね、今回はぁ……」
 そんなわけで、今日もまた俺は少女作家のネタ探しに付き合わされることになるのだった。



 何だかんだで、俺は萩野大先生の協力をすることになった。やはりネタに困っているらしく、目の前で恋人同士の真似事をやれ、ときたもんだ。
 生憎、最も手軽なエリスは本日お休みである。何というかまあ、アイツも一応女の子な訳であり。特にキツイ方なので、俺が無理にでもと休ませたのだ。
 となると、気心の知れた他の女性など限られてくる。ともかく最初に会った奴に声を掛けてみることにした。
 まあ焦っても仕方が無い。どうせ目当ての人物は、向こうからやってくるのだ。
 一日、特に行動を起こすことなく放課後になり、俺は美術準備室の自分の机でグータラしていた。そこに、部長の竹内が物凄い勢いで突撃してくる。
「上倉先生! まだいらっしゃいますか!?」
 高速連打ながらどこか丁寧さを感じるノックが三つ続いた直後、勢い良く開け放たれた扉の向こうで、俺の姿を見てホッとしたらしい。小さく息を吐き、少しは落ち着いてから美術室に入ってくる。そんな竹内に俺はおいでおいでと軽く手を振った。
「何か御用ですか? まだ残っているだけでも珍しいですけど」
 素直に寄って来た竹内に、俺は一冊のノートを差し出した。
「実は折り入って頼みがある。ともかく、それを読んでみてくれ」
 ノートを渡された竹内は、不思議そうに俺を見返してきた。また妙な事を――と胡散臭そうな目が実に素直に物語る本心は、別に隠す気も無さそうだった。
 さっさと終わらせて部活についての交渉がしたいのだろう。こういう時の竹内は、美術部の部長ですら勿体無いほど、実に迅速に物事を処理する。素直にノートを開き、竹内は無言で読み始めた。
 埋まっているのは前のほうの3ページだけだが、隙間無くビッシリと埋め尽くされていたはずだ。それを一分もかからず読み終える。さすがは竹内、速読もかなりなものだ。絵だけでなく、勉強や読書に割く時間も決して少なくは無いのだろう。タイムスケジュール表まで作って壁に貼り、それを睨みながら少ない時間を計画的に使おうとする姿が眼に浮かぶ。もちろん想像でしかないが。
「恋愛小説ですか? 一場面だけみたいですね。感想と批評と、どちらを頼まれているのか知りませんが、折角在校生に居るんですからやはりプロに任せた方が……」
 生徒の誰かに意見を求められ、その手助けを頼まれたのだと思ったらしい。正確に当てられるような情報を与えていないとはいえ、切れ者の竹内を出し抜いた感は微妙に快感である。
 ――って、生徒相手に優越感に浸ってどうする。
 俺は返されたノートを受け取りながら、
「いや、そのプロが書いたんだよ」
「萩野さんが? では感想ですね。男の人の意見が聞きたいのでしょうから、先生が自分で考えないと駄目ですよ。残念ながら手伝えませんね」
「違う違う。それは小説じゃない、台本だ。アイツのネタ探しに付き合わされるのはいつもの事なんだが、今度は恋人同士の真似事を見せろと言われてな」
「はぁ。それは大変ですね……」
「そうだな。しかし可愛い生徒の、そして後輩の頼みだ。頑張ってみようじゃないか」
 俺は立ち上がり、力強く竹内の両肩を叩いた。
「……は?」
「だから、頑張ろうな」
「ナニヲデスカ?」
 何故か片言になる竹内。ホントは気付いてるな。しかし必死に否定している、と。
 俺はその反応をあえて無視した。
「だから、恋人同士」
「ダレガ?」
「俺と、お前が」
「……」
 沈黙。ひたすらに沈黙。
 固まったまま動かない竹内と、その肩を掴んだままそれに付き合う俺。
 やがて正気を取り戻した竹内は、真っ赤な顔でまず最初に俺が肩に置いている手に気付き、慌ててそれを振り払った。
「なっ、なんで私がそんなことをっ!?」
「エリスが休みなんだよ」
「理由になってませんっ! だいたい、なんというか、その……。鳳仙さんのように身内ならともかく、教師と生徒がそんな……。真似事でもですね、よくないと思います」
 竹内の口調は、だんだんとトーンダウンしていく。やりたくは無いが、俺や萩野に申し訳ないとも思うのだろう。そういう奴だ。
 普段は軽いセクハラもかます相手なのだが、今回は本気の依頼である。嫌がっているのに、あまりしつこく頼むのは良くないだろう。
 確かに残念ではあるが、予想しなかった訳でもない。俺は特別落胆するでもなく、むしろ淡々と言った。
「まあ、仕方ないか。エリスも居ないし、ここは一つオトナの女性にでもお願いしてみますかね」
 悪かったな、と言って美術準備室を出て行こうとする俺。
 竹内は何やら怪しげな目でこちらを見やった。
「その『オトナ』という響きが、なんだかとてもいやらしい感じに聞こえるんですが……」
「そうやって妄想している方が、余程エロイと思うぞ」
「そ……それで誰に声をかけるんですか!?」
 自分でもそう思ったのか、僅かな動揺を誤魔化すように勢い良く竹内は言った。俺も無視してやることにする。
「たとえば桔梗先生とか。というより、他に居ないですよね」
「あからさま過ぎる誤魔化しっぷりが素敵だな」
 ――我慢するつもりが、脊髄反射で返してしまった。もはや末期だな。まあいい、我慢のし過ぎは身体に毒だ。
 しかし竹内は構わず力押しで攻めてくる。
「先生こそ、誤魔化さないでください。桔梗先生くらいしか、頼める相手は居ませんよね!?」
「そうでもないぞ。そうだな、面倒ごとを何でも霧の奴に持っていくのも芸が無いし……。どうせだから、たまには他を当たってみるか」
 俺は物腰柔らかな、度を越えすぎて理想すら追いつかないほど素晴らしい女性の姿を思い出す。まあ言うほど簡単に了承してくれるかは分からないが、元々が生徒の頼みだ。彼女の立場からして悪い扱いだけはされないだろう。
「他って……え? え? 本当に? 誰か居ましたっけ……?」
 意表を衝かれた竹内が慌てて問いかけてくるが、俺には当然ながら答えてやる義務も無い。
「貸し借りで言うところの貸しがあるんだ。何か困ったことがあったら、何でも言ってくれとも言われてる。そういうのは貸した方は案外気にならんもんだが、まあ何でもないことで帳消しにしておくのもお互いの為だろう」
 適当に誤魔化した俺に、竹内はまだ弱々しくながら食い下がってきた。
「弱みに付け込むみたいで……。なんというか、そこはかとなく犯罪の臭いが」
「人聞きの悪い。つまりは一緒に遊びましょう、ってのと大差無いだろ」
 価値基準は人それぞれだが、俺的評価によると豪華ディナーをご一緒するよりはだいぶランクが落ちる内容だった。状況も考えるとフォークダンスくらいとは五分だろうか。お互い、そんなもんで色々気にする歳でもあるまい。
 世間様とも、それほどかけ離れた考えではないだろう。
「……誰に頼むんですか?」
「なんだ。気になるのか?」
「それは、その……。少しくらいは」
「少しじゃ教えてやれんな」
「そこを何とか」
「意外に好奇心旺盛な奴め。まあ成功の暁には教えてやるさ。高嶺の花ってやつだからな、玉砕したらカッコ悪いことこの上ないんだよ。この場は勘弁しておけ」
 俺は一方的にそう言い残し、今度こそ美術準備室を後にした。



 幼馴染みにも義妹にも、生徒達にすら図太いと言われる俺だが、それも当然ながら時と場合と相手による。
 意外に思われるかも知れないが、俺は目上の人物にはしっかりと礼儀を尽くすタイプだ。権力に逆らえない、とも言えるが。特別な反骨心など持たず、マイペースにそれなりな人生で良いと考えるなら、世間の常識ってやつに従ってみるのもアリだろう。
 しかし、上だろうと下だろうと当然ながら好き嫌いはある。権力を振りかざし、俺に不当な雑用を押し付けつつ説教ばかり垂れる教頭は苦手だ。会った会わないだけでも一日の運勢が判断出来るってものだが、それでも逆らう気も無いし、出来ない。それが現実ってやつである。
 ――で、今回の相手だ。
 撫子学園理事の一人であり、現在は理事長の代理をも兼任する鷺ノ宮財閥本家のご令嬢、鷺ノ宮紗綾。チェロの世界的奏者でもある彼女だが、極めて人当たりがよく適度に子供っぽい部分などもあり、言うまでも無く威圧的な人物ではない。生徒であれ教師であれ、老若男女問わず人気者だ。
 しかし生まれ持った気品とは、どれだけ人柄に恵まれようと霞む事は無いらしい。いや、むしろ輝きを増している。如何様に生きようと、美術教師Aに過ぎない俺のような人間を地べたに這い蹲らせるには余りあるのだった。
 まあ、つまりなんだ。
 エリスに『お兄ちゃん理事長代理と話してる時だけカッコイイ』などと指摘されもするが、基本的に教頭相手の時と同じなのである。普段の振る舞いは、断じて下心あってのものではないと断言させて頂く。
 もっとも、そんな相手に平気で頼みごとをしに行くのだ。神経が一般的な平均値よりは図太く出来ているというのは、あながち否定できないかも知れない。

 とはいえ、やはり平然とという訳にはいかない。
 話すくらいは慣れてきた今でも、会ったその瞬間は僅かばかりの緊張がある。彼女の話術か、或いは人柄か。両方かも知れない。話すうちに気持ちも解れてくるのだが、第一声で失敗するのは珍しいことではなかった。
 案の定、今回も初っ端から大チョンボである。
「恋人に……?」
 話の段取りを間違えてしまった。いきなり『恋人になって欲しいんです』などとは馬鹿をやらかすにも程がある。
 俺は焦ったが――勘違いした割に、彼女は迷惑そうに見えない。頬を染め、少女のような恥じらいに満ちた視線を向けられる。
 お、落ち着け。あの視線は罠だ。落ちたら二度と出られない蟻地獄だ。
 満更でも無さそうだ、なんてことを思ってはいけない。ただ突然の事態に驚き、せいぜい困惑している程度だろう。余計な思考はとっとと忘れろ。でないと恥をかくだけだぞ。
 これは勝手な妄想だ。俺の願望がそう見せているだけだ。落ち着け、落ち着いてひたすらに冷たく思考を働かせろ。
 自身に言い聞かせるようにしながら呼吸を整える。そしてまずは、そうだ。そもそも話の始まりは――。
「いえ、そうではなくてですね。二年の萩野可奈、プロの小説家なんですが。分かりますか?」
「はい。もちろん、存じております。有名な生徒ですし、それに」
 彼女は巨大な執務机の引き出しを開け、そこから一冊の本を取り出した。
「まさか、それは」
「生徒の間で流行っていると耳にしました。それに、作者も生徒だという話でしたので。理事長代理として、目を通しておくべきだと……」
「なるほど」
「上倉先生も、お読みになられましたか?」
「え、いえ、まぁ……。少しくらいは」
 嘘ではない。冒頭くらいは読んだ。さすがに女の子向けの恋愛小説など向き不向きがあり、体中が痒くなってすぐさま投げ出したが。
「そうですか」
 こちらの心の内を知ってか知らずか、彼女は納得したように柔らかく微笑んだ。
 たとえ本当に見透かされていたとしても、気にしないことだ。本題はそこではない。
「それで、その萩野ですが。特に親しい生徒の一人でして。よく新作のネタを探しに、美術準備室へやって来るんですよ」
「まあ。生徒さんに頼られているのですね。さすがは上倉先生ですわ」
「もっとも、本当に参考になっているかは怪しいものですが。で、今回もネタ探しに協力させられることになりまして」
「なるほど。それで恋人――いいえ、恋人役をお探しだったのですね」
 さすがは読者、話が早い。
「では、今日の予定は全てキャンセルしますね」
 ――訂正、早すぎだった。しかも彼女が約束を反故にしようと次々上げる名前は、世情に疎い俺でも知っている有名人ばかり。洒落になっていない。
「あ、でも、そんな事より……。何処のレストランを予約しましょう?」
「いやいやいや! そこまで手間は取らせませんから!」
 俺は焦って言った。
「これから図書室へ行って、ほんの数分――長引いても、せいぜい十数分。その間、萩野の用意したシナリオに沿って会話をするだけなんです」
 そうですか、と理事長代理は何故か落胆したように呟いた。
「それに、コブつきでレストランへ行ってもですね。それこそいくつで生んだんだって話になります」
 小さいことでも有名な萩野だが、さすがに幼児と言い張るのは無理がある。いやそもそも、娘だと言い張る必要なんて無いのだが。
「子供だなんて。それでは夫婦みたいですわ……」
 と、これまた何故か顔を真っ赤にしながら夢見心地で呟く理事長代理なのであった。
「ともかく、ごく短い時間、それもフリだけです。お願い出来ませんか?」
「分かりました。お引き受けします。……嘘が現実になることだってあるかも知れませんし……」
「は? 何か……?」
「い、いいえ」
 慌ててかぶりを振る理事長代理。と、その時。静かな理事長室の空気を切り裂くように電話のベル音が鳴り響いた。
 彼女は軽く『すみません』と小さな声で言ってから受話器を取る。
 もしもし、と言って、恐らく相手が応えたその瞬間だ。彼女のテンションが目に見えるほど急上昇した。
 とても嬉しそうに、表情をコロコロ変えながらの短いやりとり。見ているだけでも大いに役得である。
 そして、しばらくして受話器を置いた彼女は、申し訳無さそうに言った。
「勝手な話なのですが、用事が出来てしまいました」
「妹さんですね?」
「ど、どうして……?」
 どうやら、あまり自覚が無いらしい。
 知り合って間もない頃、学食でのことだ。妹の話に夢中になって周囲が全く見えなくなった彼女は、延々とマシンガンのように語り続けたことがある。その時の姿が思い起こされた。今のは、その時の調子にそっくりだった。
 人が変わったような積極性に面くらい、圧倒されたものだが、それでも幸せの海にどっぷり浸かった彼女を見ていると、こちらまで幸せな気分にさせられたものだ。
「なんとなく、勘ですよ」
 もちろん本人に詳細など語らない。俺は適当に誤魔化した。



 理事長代理に見送られて、俺は何とか維持した笑顔のまま理事長室を辞した。
 しかし、そんなやせ我慢も扉を出るまでだ。一人になると途端に肩を落とし、重い足取りで美術準備室へと歩き始める。
 ――何だかんだで付き合いの良い人だし、生徒の頼みとあっては、まず受けてくれるだろうと思っていた。断られるとは思っていなかった。
「あの、先生?」
 さて、これからどうしようか。仕方ない、ここはやはり霧に――。
「上倉先生っ!」
「っ!? ――なんだ、どうした竹内」
 俺は足を止めて振り返った。
「もう。さっきから呼んでいるのに、何をボーっとしているんですか」
「いや、まさか部長がここに居るなんて思わないしな。というか、本当に何でここに居るんだ? 部活中のはずだぞ」
「そ、それはその……」
 痛いところを衝かれたのか、竹内は動揺して身を硬くする。その反応だけでも、おおよその目的は察せられた。
「覗き見とは趣味が悪いな。そういう奴だとは思わなかった。大いに失望したぞ。――というわけで、立場逆転とかあるか?」
 俺がわざとらしく意地悪を言うと、竹内は何とか立ち直って言い返してきた。
「ありません。というか、もし逆転したら顧問の仕事を全てちゃんとやって、毎日部活に顔を出すことになりますけど。それで良ければ、私が大いにサボらせていただきましょうか?」
「むぅ。こりゃ一本取られたか」
「――って、そんな話ではなくて。その、こういう頼み事は後腐れが無い方が良いと思うんですよ」
「別に霧の奴は根に持ったりしないぞ。むしろ貸しも借りもちゃっちゃと忘れる最強便利屋だ」
「……理事長代理に頼んだんじゃないんですか?」
「なんだ、覗いてたんじゃないのか? せめて聞き耳くらいは立ててたのかと思ったんだが」
「その割に怒ってないんですね」
「気になったら仕方ないだろ。別にやましい内容でもない。そんな神経質にもならないよ」
「そ、そうですか……」
「それで、なにか用か? 後腐れがどうとか」
「ええ、と、つまり……その……。理事長代理には承諾してもらえたんですか?」
「いや、それがな。途中までは乗り気だったんだが、どうも急用が出来たらしい。今日はパスだとさ」
「それなら丁度良かったです。あのですね……。さっきの話ですけど、私が頼まれても構わないかな、と思ったりもしたんですけど……どうでしょう」
「それは助かるが、急にどうした。いいのか?」
「はい。ただし交換条件があります」
「ん?」
「永久に……と言いたいところですが、とりあえず今週中は部活に出ると約束してくださるなら。全力で協力させていただきます」
「なんか俺だけ物凄い損してないか? そもそも好意で、萩野の奴に協力してやろうって話なんだが……」
「先生の場合は、義務を放棄しているだけなんですから。それを交換条件にするなら、特に損なんてしてません。むしろ健全な教師が誕生して、世界のために大きなプラスです。未来は明るいですよ?」
「まあいいか。仕方ない。それじゃ部長に頼むとしよう」
「酷い言い様ですね。私は妥協されるような筋合いは無いんですけど」
「ああ、分かった分かった。それで交換条件があれば貸しも借りもその場で解決、スッキリするというわけだな?」
「はい」
 俺は少しだけ考え込む。
 霧に頼むのも手だが、折角の厚意だ。相手が霧とはいえ――いや、考えてみれば霧だからこそ、よりにもよって恋人役を頼むというのは虫が良すぎる話である。
「助かるよ。そういうことなら、是非ともお願いする」
 と、俺が結論を出したその瞬間であった。
「上倉先生」
「ん? ――ああ、理事長代理。先ほどはすみません」
 声のした方向に目を向けると、理事長代理がゆっくりとこちらへ歩いてくるところだった。
 彼女は、ただ立ち止まるだけでも気品を感じさせる。見た目にはゆったりとした動作なのに、それでいて無駄の無い動きは機敏ですらあった。由緒正しい生まれで、武芸や舞踊にも長けた人だ。その優雅な所作だけでも、油断しているとついつい見惚れてしまいそうな程である。
「いいえ、わたくしの方こそ申し訳ありませんでした。それで、先ほどのお話の件なのですが……。妹に相談してみたところ、撫子学園まで来るそうです。上倉先生とも、是非お会いしたいと」
「あの、話が見えないのですが……」
 俺が何とかそれだけの言葉を返すと、理事長代理は話を焦り過ぎました、と丁寧に謝罪してから改めて言った。
「予定を更に少し変更出来ましたので、先ほどのお話はお引き受け致しますわ。その後、藍も交えて三人でお食事などいかがでしょうか?」
 交えて、とはこの場合俺のことではあるまいか。いやそれ以前に、鷺ノ宮財閥のご令嬢二人を相手に俺一人でどう立ち向かえと!?
 我が耳を疑いながらも、とにかくまずは心を落ち着かせ、次いで状況を整理し思考を巡らせる。
「そういえば、色々と予定が入っていたはずでは……?」
「全てキャンセル致しました。藍と会えるんですもの、それ以上に優先する予定なんてありませんわ」
 確かにそういう人だった。つーか俺相手ですら全部キャンセルしようとしてたっけな。あれはさすがに冗談だったと思いたいが。
「それで、ええと。その妹の藍さん――理事長も一緒に、三人で食事に出かけよう、と?」
「はい」
 理事長代理は少女のように無邪気な笑顔で応える。
 ううむ、確かに美味しい話ではあるのだが。言ってみたい気持ちも無くは無いものの、生憎俺は小市民ってやつなのだった。だから考えるまでも無い。
「申し訳ないのですが、その話なら既に何とかなりましたので」
「まあ。そうなのですか? それは残念です。一歩遅かったようですね……」
「えっ、あ、あの、その話なら……」
 そこで竹内が慌てて口を挟んできた。相手が相手だけに、遠慮しようと考えたのだろう。まあ、そもそもが俺に気を使って言ってくれたことだ。こちらとしても竹内が引いてくれて助かる部分もあるのだが、個人的な理由によりそうもいかない。
 ――理事長代理が問いかけるようにこちらを見るので、俺は簡単に説明することにした。
「先ほどの話ですが、この竹内に頼めましたので。大変魅力的なお話ではあるのですが、また次の機会にお誘いください」
 超高級レストランに連れ込まれ大財閥令嬢二人を相手に食事など、色んな意味で美味しいがそれ以上に場違いである。申し訳ないが、出来るなら遠慮したい。その理由に丁度良いのが目の前に居るわけで――って、俺が図太いという話は一体どこへ消えてしまったのやら。
 しかし、俺の逃げ口上はそう簡単には通らなかった。いつも柔らかい笑みを湛えている理事長代理が、僅かに眉をひそめる。
「まあ、生徒さんにその様なお願いを。さすがに問題がありませんか?」
「い、いやしかしですね。あくまでフリだけでして……」
「しかも、部活の顧問と部長では……。本人達があくまで同意の上と主張しても、回りからもそう見てもらえるとは限りませんわ」
「お言葉ですが」
 そこで、何故か竹内が割って入る。しかも、何故かちょっぴり対決姿勢だった。
「上倉先生は確かに悪ふざけもしますし、部活もサボリ気味です。それでも、大切なところではちゃんと大人なんです。誠実で優しくて、本当は優秀でもあります。よく知らない部外者に、とやかく言われたくはありません」
 この場合の部外者とは、部員以外という意味で言っているんだと思う。思いたい。
 理事長代理もそう受け取ったとは思うのだが――困惑しつつも引き下がる気は無さそうだった。
「上倉先生が優秀で、誠実な方だとは理解しているつもりです。教師としても、人間としても信用していますし、信頼しています。日頃から個人的にもお世話になっていますから、その感謝の意味もあって……」
「それは残念です。先に私と約束してしまいました。萩野さんとの用事が終わったら、もちろん顧問として部活に出ていただきますから。その後でしたら、どうぞお食事なりなんなり、好きにお誘いください」
「お、おい、竹内」
「……少し、言葉が過ぎたようです」
 俺が静止した時には、もう遅かったらしい。理事長代理は俺に向かって深々と頭を下げた。
「疑うような言い方になってしまったようです。申し訳ありませんでした。言葉がよくありませんでしたが、私がそう疑っているわけではないと……それだけは信じてください」
「も、もちろんです」
「有難うございます、上倉先生。残念ですが、今日は諦めますわ。またの機会に、何事かあれば遠慮なく声をおかけになってください」
「分かりました。その時はよろしくお願いします」
「それでは、失礼します」
 もう一度――今度は竹内にも頭を下げてから、彼女は行ってしまった。
 それをしばらく見送り、姿が見えなくなってから、俺は竹内の頭にゆっくりと手を置いた。
「ありがとな」
 言い過ぎたことは大いに自覚していたらしく、気落ちしたように俯いた竹内はしばらく何も言わず、俺の成すがままだった。
「怒ったの、俺のためだろう? 悪かったな」
 しかし、しばらく経って俺が一言付け足すと、僅かに顔を上げて苦笑しながら呟いた。
「……大人ですね」
「そうだな。あそこはもう少し怒る人が多いだろうな」
「怒ってたんですか、理事長代理」
「ああ。元々が物腰の柔らかい人だから分かり難いだろうけどな、普段なら逃げ出したりはしないよ。全部丸め込んで味方にしちまう、そういう度量のある人だ。本当に、感情的になってしまいそうだったんだろうな」
「そうなんですか。でも、私が言っているのは上倉先生のことです」
「ん? 俺が何かしたか? むしろ何一つ出来なかったという気がしてならんのだが」
「もう、いいんです。でも、せめて謝らせてください。すみませんでした……」
 先ほどの理事長代理に対抗意識でもあるかのように、竹内はかなり深く頭を下げた。
 一度は床に向いた顔が戻ってくるのを待ってから、俺はいつもの軽口の調子で言う。
「気にするな。むしろ部長が失敗している姿なんて貴重だからな。少し楽しかったよ」
「その言葉、今は素直に受け取らせて頂きます……」
 竹内は僅かに表情を和らげた。それでもまだ疲れの滲む様子で言葉を続ける。
「……思うんですけど。大人というのは、怒らない――というより、怒らないで済む考え方が自然に出来る人なんだなって」
 俺は同意を示すように頷く。
「そうだな。しかし、大人しくしているだけが大人って訳じゃないぞ」
「もちろん、主張すべき事ができないのは違う気がしますけど。そういう狭い意味ではなくて、何かされたり、誰かが失敗したり――そういうことを包み込めるような心の広さ、とでも言いましょうか」
「ふむ。察するところ、お前さんは早く大人になりたいクチか」
「自覚した事はありません。でも、部長としてしっかりしないとと思ううちに、そうありたいとは考えていたのかも知れません」
「では二つほどアドバイスだ」
 俺はわざとらしく咳をしてから、竹内の目の前に指を一本立てて見せた。
「まず、大人になりたいって言ってる奴は子供だ。俺は大人だ、と言っている奴も子供だ」
「……屁理屈っぽいですけど、言いたい事は何となく分かります」
「もう一つは、そうだな。大人とか子供とかってのは、結局は年齢で勝手に決められちまうもんだが――」
 俺は勢いよく二本目の指を立てながら、
「誰でも、大人になったってどこかで子供なんだ。それでも分けたいなら、自分の幼稚さを気付いて受け入れてる奴が大人なんじゃないか?」
 持論だったりはしない、その場の思いつきで言った言葉だが。
 驚いたように目を見開き、じっと俺を見つめて何かを考え込んでから、竹内は「そうかも知れませんね」と笑顔で返した。どうやら立ち直ったようである。
「さて、部活に行くか」
「今日はしっかり指導していただきますからね」
 そのまま他愛もない話をしながら、俺たちは美術室へ向かった。









「遅いなぁ、先生……」
 図書室でノートパソコンに向かいながら、待ちくたびれている少女作家が一人。
 彼女との約束を思い出した美術教師が戻ってくるのは、美術部の活動が終了してからのことである。

























少しでも楽しめたら、押してみてくれると作者が喜びます。





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テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/03/17(月) 20:35:23|
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