「では明日の事はお願いします」
「分かりました。なんとかやってみます」
「いつも通りで良いと思いますよ。上倉先生の良さは、相手を身構えさせないところですから」
「自然体で、というのは逆に難しいもんですけどね」
理事長代理との明日の簡単な打ち合わせも終わり、浩樹は一礼して理事長室を辞した。
なんでも理事長が直接依頼したとかで、若いプロ画家が撫子学園に来て特別授業をやってくれるらしい。誰が来るかは理事長代理も聞いていないらしいが、現理事長はこういったサプライズの好きな人なので慣れているらしく、特に気にしていない風だった。
特別授業は基本的に運良くその日に美術の授業を受ける三年生のみだが、美術部員には昼休みを利用して話を聞く時間を設けてもいいと先方は言ってくれているらしい。
どの程度の時間、誰にその時間を配分するかの裁量は顧問である浩樹に一任されている。
(外れてしまった三年生は当然として、下級生からは副部長の田丸と――エリスも呼んでやるか。また身内が云々と言われかねないが、実績もあるし問題ない筈だよな)
そこまで考えてから、浩樹はいつも通りの思考に行きつく。細かくて面倒な仕事は、優秀な部長に任せるのが一番間違い無いのだ。彼女なら言わずともエリスや副部長も入れるだろうし、選ばれなかった者へのフォローも怠慢教師などより余程上手くやってくれ、何より慣れている。
慣れるほど任せっきりというのは大いに問題があるのだが――浩樹はそこには頓着していなかった。
「でも参ったな。しっかりすると約束したし、俺の仕事を押し付けると怒るだろうか。いや、仕事を全部取るなとも言ってたしな。基準が分からん……」
浩樹が独り言に夢中になりながら歩いていると、後から肩を叩かれた。
「なにブツブツ言ってんの? さっきから呼んでるのに無視しないでよ」
同僚で幼馴染の桔梗霧だった。浩樹は振り返り、まずは軽く謝罪する。
「ああ、悪い。考え事してただけだ。他意はない」
「逆に含みがあるわよね、その言い方……」
「絡むなよ、悪かった。何か用か?」
「難しい顔してたから気になっただけ。悩みが有るなら聞くけど?」
「そんな大層なもんじゃないが……そうだな、霧の方が俺よりはアイツの気持ちが分かるかも知れんし」
思いなおすと、浩樹は霧に状況を説明した。
先日、しっかりすると約束した事。それを少しは守ろうという気になっていること。しかし、頼られたくもあるらしいということ。――加えて、自分にはその基準がサッパリ分からないということ。
浩樹にとっては真面目な悩みだったのだが、霧は呆れたように溜息をついた。
「何だか好きな女の子の気持ちが分からなくて悩んでる中学男子って感じよね……」
「なんだそれは」
「相変わらず不器用で鈍くて、どうしようもないなーってこと。あと優しいなぁ、とか。私にもそういう気遣いで、たまには逆に仕事手伝おうとか思わない?」
「ぜんぜん」
真顔で即答されると、霧は浩樹の顔面を片手で覆い、そのままギリギリと締め付けた。
「ほほぅ。もう一回言ってみる?」
極めてフレンドリーな表情で――しかし彼女の行為は見事に真逆であった。浩樹は慌てて霧の腕を掴んで足掻くのだが、ビクともしない。
「し、しますします手伝います!」
女性とは思えぬ握力に、浩樹は即座に屈した。霧はそれを受け入れ、アッサリと開放する。
浩樹は顔の縁が原型を止めているか心配になり、懸命に手で擦りながら確かめた。幸い、問題は無さそうである。
「で、俺はどうすりゃいいんだ?」
「簡単でしょ。自分でやって、かつ頼ればいいのよ」
「……矛盾してるぞ」
「それくらいは自分で考えなさい。敵に塩を送るようなことは、さすがの私もやってられないわ」
「???」
意味が分からず立ち尽くす浩樹を置き去りにして、霧は職員室に向かってさっさと廊下を歩き出す。
そのまま立ち尽くし、考え込む浩樹が最初にぶち当たった壁は――そもそも敵って何?
「ほら、早くしなさいよ。ホントに置いてくわよ?」
振り返って声をかけてくる、結局は付き合いの良い幼馴染みを追いかけ、浩樹も職員室に向かって歩き出した。
昼休みと言えば竹内麻巳、そして美術室である。
二人だけの昼食を終え、相変わらず不味いと不満を漏らしながらコーヒーを飲んでいる時に、浩樹は霧に尋ねた事を麻巳にも直接聞いてみることにした。
「……というわけなんだが、アイツは何を言いたかったんだ?」
「簡単じゃないですか。自分でやればいいんですよ、私に相談しながら」
「おお、なるほど」
浩樹は大げさに手を打ちながら感心して見せる。顧問としての自覚が欠片も無い様子に、麻巳はしかめっ面で指をコメカミの辺りに押し当てた。
何が気に入らないのか分からない浩樹は、そんな麻巳の反応をとりあえず無視することにする。
「俺としては、優秀な部長さんに丸投げしてお願いしますというのが適切ではないかと考えているのだが」
「まあ、そのくらいなら任せてもらっても構わないんですけど……」
「立場が逆だとかはこの際どうでもいい。俺は建前より実を取る人間だ。見習っていいぞ?」
「私まで先生と同じになったら、美術部は本格的に終わっちゃいますよ」
呆れながら言う麻巳は、しかし何故だか上機嫌だった。絵が描けているというのもあるし、プロ画家による特別授業が楽しみだというのもあるだろうが、自分で言っていた通りに頼られるのが好きだということだろう。
「分かりました。人選と意見の調整は任せてください」
「いつもながら頼もしくて助かる。で、今後の参考までに教えて欲しいんだが」
「何をですか?」
「分かるだろ、お前と俺の仲じゃないか」
「会話まで手を抜かないでください。それで分かっちゃう私もどうかとは思うんですけど……。そうですね、私が引退するまでの間は、とにかく部活に出てくださればそれでいいです」
「いいのか、そんなに甘くて?」
「少しずつで構いませんけど、もちろんやるべき仕事は覚えてもらいます」
よく見る人差し指を振り回しながらのお小言モードでそこまで言って、麻巳は急に自信なさげな表情になる。
「ただ、今回の様な特別な仕事は、逆に先生だけに任せておくと不安で不安で……」
「なるほどな。それなら分かる」
腕組みして、うんうんと頷きながら得意げにのたまう浩樹に、麻巳は盛大な溜息をついてみせた。
「そこで少しは怒って見せてもらえると、来年への不安が和らぐんですけど」
「心配するな。田丸は大人しいがしっかりしてるぞ?」
「先生がしっかりしてください!」
互いに、多少は事情が変わってとて相変わらずではあったが。浩樹は、以前と比べて空気が軽くなったことに気付く。
話し相手をしていて、以前はあった会話のネタに困る瞬間なども無く、自然に湧いてくる話題に身を任せながら、浩樹はただ時が過ぎるに身を任せていた。
放課後になり、浩樹は教頭に呼び出される。
いつもながら、どこからこれだけの雑用を集めてくるのかと、浩樹はむしろ感心していた。この学校は用務員を雇っているはずだが、庭の掃除や焼却炉の手入れなどという仕事が美術教師に回ってくる事に大きな疑問と不満がある。
もっとも、教頭に覚えの悪い彼は従うしかない。文句を言おうものなら三倍では済まないお説教が返ってくるのだ。
――正統な用事があったとはいえ、美術部に顔を出すのが遅れるのは不本意だった。麻巳に宛てて手紙を書いておいたのだが、それでもやはり悪いという気になる。
雑用をさっさと済ませ、浩樹は急いで美術室へと向かった。
美術準備室に入ると、美咲菫がぼんやりと立っていた。麻巳にとっては、楓子に負けず劣らず親しい間柄である。いつもの様に気軽に声をかけた。
「菫さん、こんなところでどうしたの。上倉先生に用事でも?」
「いえ、竹内さんに。上倉先生から頼まれたのですが……」
そう言いながら、菫は手に持っていた封筒を差し出した。
――目立ちすぎる容姿と歌声で、クラスどころか学校中で孤立気味だった菫を、麻巳は一年の頃から気にはしていた。それが二年になって同じクラスになり、思い切って声をかけたのが始りである。
その後、危なっかしい菫を麻巳が放っておけずに世話を焼き、そうして日に日に親密になっていった。菫はいつまで経っても相変わらずだったが、学年問わず友人の多い麻巳に引っ張り回される日々である。いつの間にか一人で居る事は少なくなった。まあ、その友人の中でも、とある美術教師の存在はかなり大きかったのだが。
菫に限らず、似たような経緯で親しくなった友人は少なくない。エリスや、美術部副部長の田丸ひかりもこれに該当する。
もっとも麻巳にとって、それらは自分がどうこうしたから、という事ではない。自分で何とかした彼女らが凄いのだと考えていた。
――麻巳は菫から封筒を受け取り、裏返したりもしながら検める。特に異常は見られないが、若干の違和感。薄いハートマークが散らばった生地に、ハート型のシールで閉じてある封筒は、ある種の目的を連想させた。
「あの、それはもしかして……その」
頬を赤らめながら言い難そうに尋ねてくる菫に、麻巳はうろたえながらも応えた。
「え、えぇ。これは先生得意の悪ふざけでね。いつもの事で、困るわよね~」
空々し過ぎる笑顔で誤魔化す麻巳は、あからさまに不自然だった。麻巳は要領は良い方だが、咄嗟の嘘と誤魔化しは案外苦手だったりする。菫も、そんな親友を眺めながら不思議そうな表情を浮かべていた。
そのまま会話が途切れ、麻巳は意識せず視線を落とす。自然、封筒が目に入った。
(まさか先生が私にラブレターなんて送るわけが無い。第一、そういう気があるならいつでも言えるはずだし。ああでも逆にああいう人だからこそ面と向かっては言えないということも……)
「……」
ふと視線を感じて顔を上げると、菫が期待の篭もった眼差しでじっと麻巳を見つめていた。
「あ、あの……菫さん。まだ用事が?」
「いえ、でもその……。手紙の内容が少し気になるので。でも、ご迷惑なら席を外しましょうか? 他人には見せられない内容かも知れませんし」
ハッキリ見せてくれとは言わない、微妙な断り難さが困りものだった。
「そ、そんなことないわ。今開けるから」
悪い癖だ。弱気を指摘されると、それをつい否定してしまう。
だが言ってしまった事は仕方が無い。
(それに、やっぱり先生が私に――なんて有り得ないし)
たとえ本気でも冗談でも、そういう内容だったとして自分に何が出来るのか。簡単な事だ、笑ってしまえばいい。
そう思い切ると、麻巳は封筒を開けた。中に入っていた紙を取り出し、胸を高鳴らせながら文章を確認する。
親愛なる部長殿。
教頭に呼び出されたので遅くなる。しばらく美術部を頼むぞ。
美術部顧問:上倉浩樹
本当に冗談だった。
「うふ……うふっ……ふふふっ……」
浩樹にとってちょっとした悪ふざけのつもりなのだろうが、麻巳にとってはよく分からない感情を発露させる結果となった。
俯きながら、麻巳は溢れてくる衝動に抗いきれず含み笑いを漏らす。手はいつの間にか、便箋を握り締めていた。
「あ、あの。竹内さん?」
「どうしてくれようかしらね……」
おずおずと声をかける菫だったが、麻巳には聞こえていなかった。
「わ、私はそろそろ行きますね」
おかしな迫力に圧倒され、菫は逃げるように美術準備室から去っていく。
取り残された麻巳は、
「……ところで、私はどうしてこんなに怒っているのかしら」
唐突に我に返り、今度は疑問を溢れさせるのだった。
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- 2007/09/28(金) 20:17:14|
- 第六話
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