俺は駅前で待ち合わせていた。今日は麻巳と二人きりでデートだ。
「悪い、遅れたか?」
かなり余裕を持って家を出たはずなのに、とっくにそこで待っていた麻巳を見て、俺は咄嗟に腕時計を確認した。確かに約束の時間までは十分ほどの余裕があった。
「いいえ、私もさっき来たばかりです。ふふふ、なんだか立場が逆ですね」
待たされたというのにやたら上機嫌な麻巳に腕を引かれ、俺達は近くの商店街へ向かった。
そのまま二人で、適当に店を冷やかしながら散歩する。――と、麻巳が唐突に立ち止まった。
「浩樹さん」
「ん?」

柳の風まかせ/ブタベストさん 振り向くと、麻巳は勿体つけた動作で眼鏡を外した。意味が分からず、俺は首を傾げる。
麻巳は様子を伺うように俺の顔をジッと見ながらしばらく考え込むと、再び眼鏡を付けた。
「……」
「なあ、何やってるんだ?」
「コンタクトにして、眼鏡のレンズを外して、それで反応を見てるんです」
「???」
意味が分からない。しかし、麻巳は怪訝な顔で見返す俺の表情を見つめながら、眼鏡の付け外しを続ける。
「もう、ちゃんと反応してくれないと分からないじゃないですか」
「何がだ?」
「……どうでも良いってことですか」
不満そうに言われても、俺には麻巳の期待する言葉が思いつかなかった。
「だから、まず用件を言え」
「もういいです!」
しまいには怒り出して、早足になる麻巳。
訳が分からないまま、俺も彼女を追いかけるように速度を上げた。
「なあ、おい、悪かったよ」
「何がですか」
「あれだ、ほら。えーと……無神経だった」
「だから、何がですか」
「な、何もかもだ」
我ながらどうしようもないな――どうしたもんか、と思ったら麻巳が急に立ち止まった。ぶつかりそうになった俺は慌てて立ち止まる。
「自分がどう見えてるか、どうして欲しいと思われてるか、色々考えてる私が馬鹿みたいじゃないですか」
背中を向けたまま麻巳が言った。俺はやはり意味が分からずに聞き返す。
「だから、何のことを言ってるんだ?」
「眼鏡の有無は、どちらが好みかと聞いてるんです!」
やっと振り向き、噛み付きそうな勢いで言う麻巳に、俺は気圧されていた。
「ど、どんな麻巳も好きだぞ」
僅かに仰け反りながらも、俺は何とかそれだけを言う。しかしお気に召してもらえなかった様で、麻巳はまた前を向くと今度は駆け足で逃げ出してしまう。
「お、おい!」
俺も慌てて後を追った。
住宅街を疾駆する麻巳は、チラチラと振り返りながらも一向に立ち止まる気配を見せないが、俺との距離を一定に保っている様にも見えた。考えてみれば運動不足の俺がエネルギッシュな彼女に追いつける道理も無く、手加減されていなければ、ものの数十秒で見えなくなっていたことだろう。そこに僅かな期待を込めて、俺は本当にぶっ倒れるまで鬼ごっこに付き合う覚悟を決めた。
そうして十分ほども経ったか。
いくつめかの角を曲がったところで、急激に速度を落とし立ち止まる。振り返ると、角の辺りに立っている麻巳と目が合った。肩で息をしていて立っているのもやっとな俺に比べ、彼女は僅かに汗を滲ませている程度、体力の差は歴然だった。
「ま、麻巳さん……。ここらで一つ許しちゃもらえませんかね……?」
「途中で諦めたりしたら絶交してやるって思ったんですけど。仕方ないですね、この辺で許してあげます」
ちょっとだけ機嫌を直したらしい麻巳は、無表情を装いながらも口端が緩んでいる。――それならまあ、頑張った甲斐もあったというものだ。
「不健康そのものの美術教師に無理させるな。ただでさえ寿命は男性のが短いし五年も年上なんだ、一人身が余計に長引いて困るのはそっちだぞ」
ここで多少はゴマをすっておくかと、そんな事を言ってみる。
それでも無表情を崩そうとしない麻巳だったが、僅かにスキが生まれた。いつものように慌て、照れて、表情を崩しそうになるのを必死で堪えると、誤魔化すように言う。
「じゃあ健康増進のために、日課としてイーゼルを――」
「皆まで言うな。それは色々怖いので勘弁な」
む――と不満そうにしている麻巳。意外と本気だったらしい。危ない危ない、流れからして言わせたら無理に押し切られてそうだ。
「なら、そうですね。私の機嫌を直すために、あそこの喫茶店でケーキでも奢ってください」
そう言って、麻巳は目の前の喫茶店を指差した。
ずいぶん前にエリスの案内で連れてこられたことがある。味は悪くない、しかし財布に優しくない、そんな店だ。
逃げた先に都合よくこれがあったというのは、何か作為的なものを感じずにはおれないが――残念ながら拒否する権利などあるはずも無い。
俺は、仕方なく別方向から攻めてみる。
「ああいうのを商売敵と言うんじゃないのか?」
「うちはコーヒー店、ここはスイーツが自慢。客層が違います」
「そもそも自分で『機嫌を直すために』とか言うのはおかしくないか」
「彼女の乙女心に気付かない人に意見する資格はありません」
「んな無茶な……」
「ほらほら、いいから行きますよ。あ、もちろん浩樹さんの奢りですからね」
それ以上の反論も出来ないまま、俺は強引にその喫茶店へ連れ込まれるのだった。
まあ、ケーキの一つや二つで機嫌が直るのなら安いものか。
「はい、どうぞ。あ~ん」
「……なんなんだこれは」
喫茶店に連れ込まれ、メニューを開きもしないまま麻巳は即座に注文した。恋人限定スペシャルメニュー『らぶらぶ☆パフェ』なるものを。
ハート型の二股ストローが一つ、パフェ用にしては大きめのスプーンが一つ。明らかにこれは――バカップル限定ではなかろうか。
人前でイチャつくのは、俺よりも麻巳の方が恥ずかしがる傾向が強かったはずなのだが。
「なんだじゃないです。可愛い彼女が『あ~ん』って言ってるんですから、さっさと口空けてくれないと鼻に突っ込みますよ」
平然と微笑みながらも、麻巳はそんな事を言ってくる。対して俺は平常心など欠片も残っちゃいなかった。
「衆人環視の中で、そんな恥ずかしいことが出来るか!?」
「恥ずかしいからいいんです♪」
「くそう……グレようかな、俺……」
「元から悪人面なのに、今更グレたって違いが分かりませんよ」
「やかましいわっ!」
「ほらほら、もう観念してください。逃がさないんですからね~」

柳の風まかせ/ブタベストさん「むぅ……」
確かに逃げていたのは麻巳だったはずなのに。
追いかけっこは、実は俺が捕まえたわけではなく、まだ終わっていないとするなら。むしろ最初から逆だったとするなら。追いかけさせる鬼が、標的を逃がすはずがない。狙ってやったとしたら実に巧妙だった。
さすがに逃げ道など無いと観念し、さっさと終わらせるのが最善と判断した俺は素早くスプーンを銜える。我ながら顔が熱いのを自覚しながら素早く元の位置まで戻ると、麻巳がとろんとした表情になっていた。
「うふふ。なんだか可愛い……」
浸りきって表情が溶けている麻巳を見ていると、俺まで幸せな気分になってきた。
たまにはこういうのもいいか。そう思いかけた瞬間、俺はある思いつきに反射的に手を伸ばし、麻巳の手から一つしかないスプーンを奪い取った。
「あ……」
「お互いにやらないと、恋人同士とは言えないだろう?」
「そ、そうですね。ではお願いします」
麻巳が口を開けて待っている。俺は素早くスプーンを操り、パフェから生クリームとアイスを掬い取って――それを自分の口に入れた。
「え? ……何してるんですか?」
前のめりになっていた上体を戻し、不思議そうに尋ねてくる麻巳。
俺は一度口の中のものを呑み込んでから言った。
「何って、俺も男だ。同じじゃ負けた気がするからな。口移しで食わせてやる」
「なっ……そ、そんなこと!」
「さあ、麻巳。早く顔をこっちに寄せるんだ」
「え、あの、その……せ、先生!?」
いまだに焦ると出てきてしまう呼称に、俺は内心苦笑する。しかし表向きは強気の態度を崩さない。
「いまさら先生言うな。それとも俺じゃあイヤだってのか?」
「そ、そんなことありませんっ!!」
――悪い癖だ。駄目かと聞くとそれを焦って否定する。それがまた可愛いわけなんだが。
ともかく術中にハマッた。今度は表情にも出して、俺はニヤリと笑う。
「ならいいだろう。それにお前が言い出したことだ、さあ麻巳。観念して目ぇ瞑れ」
「~~~~~~っ゛!!」
首まで真っ赤になりながら、それでも麻巳は目を瞑って口を開けた。そのまま数秒、そんな姿を堪能した後、
「……ぷっ。あっはっはっは!」
俺はとうとう我慢できずに笑ってしまった。
「……ひ、浩樹さん?」
目を開け、呆然と尋ねてくる麻巳に対して、俺は笑いすぎて僅かに滲んだ涙を拭いながら言った。
「はは、やっぱりお前さんにも羞恥心くらいはあったな。それも、かなり盛大にだ」
「だ、騙しましたね!」
先ほどとは別の意味で真っ赤になる麻巳は、あとが怖いが――その時はその時だ。俺は笑いながら言った。
「麻巳にだけは言われたくないな。それに、恥ずかしかったのはこっちもだ。おあいこだろ?」
「うぅ……あとで酷いんですからね」
言い返せず涙目になる麻巳は、やっぱり誰よりも可愛かった。
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- 2007/08/22(水) 00:00:44|
- 短編
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