12月24日。この日に生まれた人間は――竹内麻巳は、成人式を待たずに飲酒を許される立場だ。
彼女は遅めの生まれであるため、二十歳の誕生パーティともなれば酒を飲む友人も多くなる。――もっとも、二十歳になって初めて飲む、というのは希少かも知れない。しかし彼女は、基本的にそういったルールは守る側の人間だった。
まあ、その当日には間違いなく飲むことになる訳なのだが。前日の23日にも、午前零時を過ぎれば飲めるようになるわけで。
予行演習、というのは表向き。でも本当は、初めて飲むのはこの人と、と決めていたということだろう。
つまり麻巳は。その日、俺の家に泊まることになっていた。
俺の住むマンションの一室、一人暮らしには広すぎるリビング。目の前のテーブルには、豪華な食事とワインが二人分。
ソファに並んで座っている俺と麻巳は、無理に会話などもせずにただただその時を待っていた。
「ホントに律儀な奴だよなぁ……」
俺は麻巳の見つめる壁掛け時計に視線を向けながら、呆れ気味に言った。日付が変わるその瞬間、生まれて始めての酒を飲もうということらしい。
遠めに見ては認識出来ない分針の動きは、まるで山頂目指して上っていく登山家のように無理をせず、ゆっくりと進む。それを、麻巳は真剣な眼差しで見つめていた。
呆れつつも、そんなところもまた可愛いなどと思い、そんな自分に対して自嘲気味に笑う。すると、勘違いした麻巳が心外そうに言った。
「誰より早く、大人になった私を見てもらいたいって思うのが。――そんなにおかしいですか?」
見当外れにも程がある。そう思いつつ、俺には分かっていた。こいつは自分の考えが決まってしまうと、他の要素を簡単に排斥出来てしまう人間なのだ。ずっと気にしていたなら、そこにしか頭が回らないのかも知れない。
「どっちでもいいさ。――とりあえず可愛い、と思うぞ」
俺はあえて訂正せずに、そう言いながら麻巳を抱き寄せた。
しかし、彼女は俺を押し戻してワイングラスを手に取り、
「さ、もうすぐですよ」
そう言って、わざとらしく視線を上げる。時計を見ている麻巳の頬には朱が差していた。
――この程度のスキンシップでも、いまだに多少の照れがある。気合を入れないと、ついついこうして跳ね除けてしまうらしい。
俺は気を悪くするどころか、いつまでも初々しい、そんなコイツが可愛くて仕方が無かった。力無く逃れようとするのを、少し強引に捕まえるのも楽しいし。――いや、自分でも変態的だとか思わんでもないが。本当に無理矢理な訳でも無いし、ギリギリ常識的なのではないかと。って誰に言い訳してんだ俺は。
無意味なことを考えている間に、午前零時まであと数秒というところになった。時間は一時間ほど前に、秒単位で調整してある。まだズレている、ということはないだろう。
俺もグラスを手に持つ。すぐに午前零時を回り、お互いのグラスを軽く触れ合わせた。
軽い音が響き、
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
何の工夫も無い、ありきたりな言葉。だからこそやるのだ、と麻巳は言う。恒例行事が好きなコイツらしい。
乾杯を済ませ、祝いの言葉も済ませ。俺は一口、ワインを味わう。
そうして、視線を交わそうと隣を見ると――。
「……おい」
思わず声が出た。
麻巳は俺の目の前でワインを一気に飲み干す。
「初めてなんだから、少しずつ様子を見ながらだな……」
心配して言ったのだが、彼女は少しも聞いていなかった。
それどころか、座った目で俺を見て――いや、俺の持っているグラスの中身だけを見て、それを奪い取る。
すぐさま一気に飲み干した麻巳は、
「……んっ!」
グラスを目の前に突き出し、何やら満足げに頷いた。美味かったらしい。
――今日のために用意した高級ワインである。安月給の美術教師には、という補足が付くが、それでも3万はする貴腐ワインだ。なるべく飲みやすいものを吟味したし、不味いなどと言われては立場が無い。
「……んっ!」
麻巳はグラスを突き出したまま、何やら催促している様子だった。
しかし、コイツがどの程度飲めるのかは不明である。どこまで飲ませて良いものかと迷ったのだが、見てみれば表情は平静そのもの。――そう、不自然なくらい真顔だった。血色も普段どおり。
分かり難いやっちゃなぁ、とは思いつつも。もう一杯くらいは大丈夫だろうと判断し、俺はグラスにワインを注ぎ足してやった。
それを、やはり一息で飲み干した麻巳は、
「……んっ!」
同じようにグラスを突き出し、そして。そのままの姿勢で横倒しに倒れた。
「お、おい。大丈夫か!?」
俺は慌てて声をかけてから――麻巳の無防備過ぎる格好を見て硬直した。
思えば、慣れてないのはお互い様というか。麻巳は当然として、俺までも最近は真面目に色々と取り組んでいるせいで、話はしつつも『そういう時間』はなかなか無いせいもあるのだが。ああ、つまりなんだ。
短いスカートの裾から覗く柔らかそうな白い太股に、いけないとは思いつつも目が釘付けになってしまうのは、まあ仕方が無いというかだな――って、俺はまた誰に言い訳してるんだ。とにかく介抱してやらないと。
「うぅん……」
改めて麻巳を見やると、彼女は苦しそうに呻きながら身じろぎした。そして、不器用な手付きで胸元を緩める。
「……寝てる、んだよな。ホントに」
俺は恐る恐る、覆いかぶさる様にして彼女の顔に近づき、間近から様子を伺う。
麻巳は安らかな表情で寝息を立てていた。そのまま数分、俺はジッと観察して――。
唐突に、デコピンを見舞った。
「……っなにするんですか。他にやる事があるでしょう!?」
額を押さえながら涙目で訴える麻巳に、俺は優しく言った。
「確かに芝居がかった演出には才能を感じるが。残念ながら嘘を付く才能は微塵も無いぞ」
むぅ、と不満そうに唸る麻巳。どこかで見たような聞いたような仕草――って俺の真似か。
「どうして分かっちゃったんですか?」
「顔を近づけたらビクッとした。息が乱れた。ジッと見てたら薄め開けやがった」
立て続けに理由を並べられて、麻巳は気まずそうに視線を逸らした。
「……そこはその、気付かないフリをするという優しさをですね」
「ならもう少し練習してくるべきだったな」
「うぅ。いいもん。先生がイジワルだなんて、よーく知ってるもん……」
「今度は誰の真似だ」
「柊さん」
今度は俺が視線を逸らす番だった。
柊美空、撫子学園美術部一年。何でか知らんが、俺のファン倶楽部第一号にして唯一の会員。告白された回数なんて覚えてない。そもそもコイツとは面識が無かったはずなんだが。
俺の表情が面白かったのか、麻巳はえらく上機嫌で言った。
「藤浪さんとは、その後良好な関係を続けておりまして」
「ああ、なるほどな。俺が困る情報は楽しげに話しそうだ……」
どうせ霧も交えて茶飲み話ってところだろう。あいつらも『やどりぎ』に通ってるらしいし。
「って、なんでその話題で大して怒ってないんだ?」
「怒る……?」
本気で不思議そうにしている。こちらから諭すのもおかしな話だが、俺としては怒るならなるべく早くしてもらいたい。コイツは溜めて爆発させるタイプなので、後回しにすると余計にタイヘンなのである。
「いや、だって……なあ? 嫉妬したりするところじゃないのか。どうでもいいような態度は、逆に傷つくんだが」
「だって、あれって笑い話じゃないですか」
「……ああ、そうか。案外良い奴だな、藤浪も」
「?」
意味が分かってない麻巳を放っておいて、ともかく俺は。
「あ、あの!」
驚いて声を上げる麻巳。――覆いかぶさったまま会話を続けていたので、抱きつくのに手間はかからなかった。
「ん?」
俺はわざとらしく惚けてみせた。
「えっと、その……」
「誘ったのはそっちだろう。駄目だ、聞いてやらない」
「一度逸らしたのに、そんなの反則じゃないですか!」
もちろん、関係ない話で気を逸らしたのはワザとだった。
不意打ちの方が、麻巳は反応が可愛い。だから主導権はなるべく俺が握りたいのである。
「今日も可愛いな」
「ひきょうものーーーー!」
涙目で叫ぶ麻巳だったが、俺は聞く耳持たない。
まあ、本人も本気で嫌がってるわけでもないし。
こうして、俺たちは朝まで二人きりの時間を幸せに過ごしたのだった。
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- 2007/05/03(木) 19:23:22|
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