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竹内麻巳SS倉庫

Canvas2というゲームで、美術部部長の竹内麻巳のSSを掲載していく予定です。

FREE STYLE (作:MONEV MILS)

お見合いを失敗させる事に人一倍定評がある独身様の、
「先生今日からラマダーンを始めます!! 真剣と書いてマジと読むんです!! 私、恋をしてるんです、ていうか誰でも良いからトランタンに突入してしまった私に恋をしやがれってんだ!!」
 などといった、やたら滅法力強いダイエット宣言で幕を開けた本日五月二日が、月に一度の調理実習の日であったと竜児に思い出させてくれたのは、猪の一番に世界の災いを凝縮したような風味の碁石クッキーを持ってきそうな逢坂少女でもなく、斯様なココロオドル催しに人一倍敏感且つ積極的な春田少年や能登少年でもなく、まあ、ある意味でこれ以上ないくらい意外な人物だったとさ。
 
「なあなあ、そのなんとかって女の子さ、どうして俺にこんなもんくれたんだと思う?」
 自らに訪れた出来事のあまりの有り得無さ故に、それまで視線を窓の外に逃がしていた竜児がぽつりと、いや、少々ぶっきらぼうに言葉を零す。彼にとってそれがどのくらい有り得ないかというと、ベクトルは多少異なるが、朝の登校中に食パン咥えた女子高生と正面衝突する感じの有り得なさである。大袈裟に言って漫画の世界にでも閉じ込められた気分だった。
「俺、実は女の子にこういった小洒落た菓子とか貰うの初めてでさ。どうリアクションしていいか、正直よくわからねえんだよ」
 両の腕を後頭部に添え、背もたれに勢いよく身体を預ける。果たして何度この構えを取っただろうか。
 ともかくも、どうにもこうにも筆舌に尽くし難い、俗に言うリアリティとやらがまるで無い不思議体験をしてから早いもので凡そ一時間が経過していた。
 完全に頭が真っ白になっていた、三時限目と四時限目の間にある十分休憩。
 生まれて初めて巡り会った一次方程式がどうしても解けず、ひたすら悩み通した、四時限目の数学の授業中。
 そうした困惑と苦悩が絶妙に調和した時間を経て、昼休みに入って漸う現実あるがままを受け入れ始めた竜児は、神から賜りし小指無しを思わせる険しい双眸を目一杯真ん丸にし、更に、手にしていた小袋を片手でぽんぽんとお手玉しながら向かい席に腰掛ける少女へと問い掛けられるまでになった。じわじわと身体を巡り始めた高揚感を悟られてはなるまいと彼が心に思い描いたるは、馴染みの野郎共と他愛ない世間話にでも興じている時の限りなく自然体の己。言わばナチュラル俺。イコール、ロハス俺。
 そう念ずる一方、ごくごく当たり前の話、思い描いていた状況とは現実の中では妄想と呼ぶわけで――……悲しいかな、ささやかな理想さえ掴めぬ現実の己の姿はと言えば、銀の円盤を小刻みに廻しているかの如く言葉の端々を震わせ、どもり、詰まり、空回り、むしろ――無関心を装いつつも実はしっかりと――耳を傾けている大勢が挙って居たたまれなくなってしまう風な劇的オウンゴールを豪快に決めてしまっている。右手をピシッと額に添え、背筋に定規を突っ込んで、我が輩全力で動揺しているであります! みたいな感じの。
 たかが女の子にクッキー貰って程度で何をこう焦る必要がある、俺。
 ひとまず声の震えくらい取り除かないと。多大にパニックを起こしている頭でも明瞭そうは理解できているのに、脳の命令を満足に聞いてくれない体躯と来たら、すっかり昼の喧噪に塗れた空気を大きく吸って、吸って、吐いて、なんて、ただの深呼吸がラマーズ法、あるいは過呼吸に進化してみたりしているもので…………まったく、やれやれとしか言い様がない有様だ。
 生来、ありとあらゆるハプニングにもさほど動じない悠揚な性情をしていると自負していた竜児。ところが、そうした自己分析は見事に間違っていたらしい。己を過大評価していたと言うべきか、単なる思い込みだったと言うべきか。よくよく思い返してみれば大河と初めて出会した折りもギロリと一瞥された程度で呆気なく腰を抜かしていたし、夏の小旅行でもたわいない怪談に双肩をみっともなく震わせてもいた。とどのつまり、たまたま思い掛けない出来事を回避し続けてこれたただけの話で、高須竜児という人間の本質としてはちょっとしたジャブにすら滅茶苦茶くぐらつく程メンタル面が脆いのかもしれない。
「いや、そうじゃねえな」
 と、ひっそりとした声ながら自らの意見を真っ向から否定する。
 たとえば、実乃梨に初めて声を掛けられてパニクっていた日。
 たとえば、手のひらサイズの虎に出会い頭にハッ倒され、地べたを這い蹲った日。
 たとえば、突如現れたストーカーにビビリまくって身動ぎ一つできなかった日。
 日々の水仕事でやや被れた五本の指で丁寧に指折り数えつつ、そして方今自分が置かれている状況を冷静に鑑みるからに、like a フルハタのポーズで再思三考せずとも、“しれない”なんて可能性を示唆する言葉が適用できるはずがなく、それでも件の言い回しを選ぶのであれば現実逃避以外の何物でもない。
 
「大体、こういうシチュエーションは俺の柄に合わないんだよ。免疫もとことんねえし」
 そう、決して打たれ強くない四回戦ボクサーがいつになく早鐘を打つ心臓に面の皮を引っ張らせまいと意識するのは、世紀末の荒れ果てた地に緑を還す事にも匹敵する難しさだ。もしくは、すっかりどん尻が定位置となってしまった星の煌めきがMisson98以来の頂点に立つくらいに。悲しいかな、それ即ち不可能と呼ぶ。
 体の至る所も長距離走を走破しきった直後みたいに熱く燃えたぎり、背中やら手先やら足先やら諸々が汗でべったりとして心地が悪いったらありゃしない。ふいと掻き上げた後ろ髪もひどくじめっとして、汗でふやけた頭皮、そこに満遍なくびり付いていた垢が爪の中に滑り込み、気持ち悪い事この上ない。
 かつて味わった事のない未曾有の緊張感により喉もからからに干上がり、我知らずとパック牛乳に刺したストローに口を付けるペースも速くなってしまう。と、思っていたらさっそくベコッと凹んだ。昼休みに入ってからの四本目が、だ。
 身体の発育の悪さに年がら年中苛まれている大河じゃあるまい、自分の人生上ここまで一遍に多くの牛乳を飲んだ記憶はないし、しかも胃がたぷたぷなのに満たされた感覚も無ければ尿意も催さないしで、一体どうしたらいいものやら。
 竜児ははあっと肺に溜まっていた空気をすべて吐き出す。自覚症状があるという事はほぼ間違いなく周囲に自らが抱えている面映ゆさをするっとまるっと見透かされていると言を俟たず、日頃の己が不機嫌タイガーよろしく毒突いているのと同様、言葉の節々を盛大に震わせてテンパっている青年の姿はさぞかし腹立たしく映っているだろう。
 
「なんか駄目駄目だな、俺」
 そう独りごちて、空になったパックを二三度折り畳み、フリスビーを放る要領で教室前方に置かれたゴミ箱に投擲する。前方と言っても自分の席自体が前方に位置しているのだが。
 ゴミ箱までは、一席を挟んで凡そ3メートル。それなりのバランス感覚が要求される行為も三度目ともなればお手の物だ。中学時代の栄光に縋る熱血スポーツマンばりに外す気がしない。
 だけど、今日はとことん目論見が外れるらしく、一見綺麗な放物線を描いていたそれは目的地にたどり着く途中で旧に方向を変えてしまい、次の瞬間、勢いよくゴミ箱の淵の部分にクリティカルヒット。長さ50センチ相当のプラスティックの塔は再生紙如きに難無くノックアウトされ、たちまち前の席周辺が屑ゴミのバザール会場と化してしまった。
 突如鳴り響いたクラクション、プラス散乱した塵紙やらに、何事かとばかりに寄ってきた周囲の視線が物凄く痛い。昼時とあって教室は隙間無く埋め尽くされ、それでいて誰かが粗相を働くたびに全員が一斉に注目してくるものだから、過度に目立ちたくないのなら努々静かに時を過ごさなくてはならない。まあ、今回に限っては、竜児……というか竜児と相席している人物がより人目を惹く身形をしているため、どうしても人の目を集める事になってしまうのだが。
 
「いくら何でも駄目駄目過ぎる。駄目を通り越して本格的に痛い」
 自分の底なしの駄目さ加減に頭を抱えたくなる。
 とりあえず頭を抱えるよりも先に、ゴミ箱をひっくり返される程に自分達のお喋りが竜児の怒りを買ったのだと勘違いし、みるみる涙目になっていったクラスメートABC三名に深々と御辞儀。すまん、とぼそりと呟き、曲げた腰の角度は慇懃とした45度。
 すると、竜児の意図を汲んでくれたのか、クラスメート達は涙目になりながらも律儀に倒れたゴミ箱を片付けてくれたので、竜児は彼女達の優しさに感謝してもう一度深く頭を垂らした。
「ああ、とことん駄目だよ、俺。穴があったら入りたいよ。穴が無かったら掘って掘って掘りまくりたいよ。なあ、川嶋。こんな駄目な俺はどうしたらいい? こんなにも救いがたい俺を導いてくれないか?」
 得点圏打率が異常に高そうな名字をしているのと裏腹に、ノーアウト三塁だとスクイズしちゃう病に掛かっている、そんなハマ風泣かせの情け無い自分を心の底から情けなく思う、五月のよく晴れた日の昼休みに乾杯(完敗)。
「んなもん私が知るわけないでしょ。亜美ちゃん占い師じゃないし。はん、気になんなら自分で訊けばいいんじゃないの。つか普通手紙とか入ってるんじゃねえの?」
 対するは――へたれ気質の自分とは対極の位置にいる、スタイルはいつだって威風堂々の豪華絢爛、けれど頑なに直球勝負を好まない軟投派の女の子だ。
 眉目秀麗なる四文字熟語を具現化したような彼女は、恐ろしく整った眉をこれまた見事なまでの逆への字にし、今にも両足を机上に放り出しそうな傲慢極まりない雰囲気を存分に漂わせている。何様? と尋ねられれば衒わずに女王様と答えるんだろうな、とそんな感じに。
 やや明るめの髪を腰元に流した彼女は、迷える子羊が投げ掛けたどもりまくった辿々しい口振りを、外に吹く料峭とした風の如く冷めたふうに笑い飛すや、返す刀でギロリと一睨み。偉そうに組んだ両手、一つ秒針が進むにつれて制服とこめかみに皺が寄っていく。冬の海を思わせる厳しい色を湛えた双眸に怖じたわけじゃないが、いつも以上に弱気な竜児は放たれた威圧的な眼光に底気味悪いものを覚え、気持ち後ろ退ってしまった。
 
「お、おう。『宜しければ食べて下さい』としか記されてないぞ。現状、他にわかるコトといや、贈り主が斉藤という隣のクラスの子だったり、クッキーの形が大河に見習わせたいほど上手に作られているくらいだ」
「名前以外なにも書いていないんなら単純に日頃のお世話を形にしてみただけじゃないの。お歳暮みたいな感覚っつーの。お歳暮出した経験ねえからお歳暮がどんなんか欠片も知らねえけど」
「おいおい、『脈アリかもね~』とかなんとか言って渡してきたのは他の誰でもない、お前じゃねえか。僅か五分で純粋無垢な少年ハートをサバ折りするような真似は止してくれよ」
 さもつまらなそうに窓外に視線をぷいっとさせた少女に然るべき突っ込みを。右手をビシッと。
 それと一つ訂正。正しくは、渡してきたのではなく、例の自販機前にて、クッキーが入った紐付きの小袋をヨーヨーを振り回す風に荒々しく扱っていた亜美がいて、たまたま其処を通りすがった竜児が胡乱に思い、『なにやってんのオマエ』的なノリで声を掛けたところ、それが自分に渡すよう頼まれていたクッキーだったと発覚したのだった。しかも亜美はなかなかそれを渡そうとせず、たかだかクッキーを引き取るだけで結構な時間を要してしまった。
 時ならず、竜児は考える。もしも亜美に声を掛けるのがあと一分でも遅れていたら、この星型や菱形に象られた小洒落たクッキーは粉々となっていただろう、と。目が追い着かない程の猛スピードでのループ・ザ・ループだっただけに、まさにクッキー危機一髪の瞬間であった。
 もちろん、せっかく自分のために拵えてくれた物を捨てるなんて罰当たりな真似をするつもりはない。仮に粉々になっても自分は喜んで口にするだろう。だからこそ、できる限り粉状の胃腸薬を飲むようにクッキーを食べる真似は遠慮したいのだ。クッキーはやや温めの紅茶と一緒に美味しく頂くのが竜児なりの拘りだった。
 
「なに言ってるのかなあ、高須君は。ほんと、まったくキミは馬鹿だなあ。
 無垢な心をサバ折りですって? ふっ、笑わせてくれるわね。本当なら、フルパワーでドロップキックを食らわせたい気分なんですけどお」
「仮にドロップキックなんて食らったら俺は廃人間違いないな。再起を志すならボンベ氏が作ってくれるマスクと肉襦袢を纏い、ニュー高須になるしかねえ」
「はいはい、プロレスラーになりたいなら私の知らない何処かでやってね。邪魔だから」
 プロレスラーじゃないんだけどなあ、と竜児は心の中でぼやく。
「なんかいちいち刺々しいな、お前。機嫌でも悪いのか?」
「機嫌? 良くはないよ。
 だってさあ、どうして天下の川嶋亜美がこんな噛ませ犬みたいな役目を仰せ遣わなきゃならないのよ。あー、マジうぜえ。カッペがマジうぜえ。クッキーくらい自分で渡せよ馬鹿。そんなに男と喋るのが恥ずかしいのかよ。今時純情少女なんて流行んねえよくそったれ」
「いんや、清純派は永遠不変のムーブメントだぞ。お前の心は確かに残念な色に染まり、もう手の施しようがない状態にまでなっているけど、でもな、もしかしたら本当にガラス玉みたいに透き通った心の持ち主だっているかもしれないだろ。逆に言えば、大河やお前といった悪魔将軍の量産型みたいな奴らと連んでいる俺はかなりの稀有な存在なのかも」
「あはは、高須君って馬鹿だよね。清廉潔白な女の子なんてこの世の何処を探しても見付からないから。女の子はみんなお腹に真っ黒なナニかを隠してるのよ。――ああ、それと、くれぐれも言っておくけど、別に亜美ちゃん怒っちゃいないからね。ここ、誤解しちゃダメよ?」
 全国各地に住む彼女のファンが訊いたら卒倒しそうな爆弾発言はこの際置いておくとして。
 わざわざ怒っていないと念を押すものの、しかし幸福の使者ことクッキーの運び主はみるみる唇を尖らせ、上半身を豪快に机上に投げ出した。となると必然的に机の上に載っていたシャープペンシルやら消しゴムやらが弾き出され、次々と地面へと弾き出されていくわけで。ぽとり、ぽとりと。その様は一昔に流行ったお菓子をコインで落とすゲーム、或いは飛空挺から放り出された黒魔術師を想起させる。
「おい、落としたぞ」そう竜児が呆れ混じりに言えば、亜美は「あっそ」と素っ気なく返すだけで決して拾おうとはしない。どういった教育を施されれば彼女みたいな一癖ある女の子が誕生するのか。落っことした物が自分の物ならばこう泰然としていてもおかしくないが、しかしすべて他人の物なのだ。厳密に言うと、彼女がこの街に引っ越してきて以来ずっと敵対心を剥き出しにしてきた手乗りタイガーの文房具一式。
 にも関わらず彼女は罪悪感の欠片も見せず、至って平然……もといブスッとしている。
 モデルである旨を過剰に誇示するだけのビスクドールみたいな小作りで精緻な顔をくしゃっとさせ、白魚みたいな透き通った人差し指が机を荒々しくノックする。舌打ちは五秒に一回のハイペースだ。どこを取っても彼女の「怒ってないからね」を肯定する仕草は微かにも垣間見えない。
 やがて拗ねたオーラを存分に撒き散らす亜美は昼寝する風に顔を俯け――三点リーダしか返さない旋毛からは、やはりいつになっても落とした物を拾おうとする意志が感じられず、仕方なしに竜児は重い腰を上げ、亜美の代わりに大河チルドレンを回収していく。面倒臭いなあ、と亜美に聞こえるように呟きつつも彼の足取りに迷いはない。なにしろ、このまま放っておくと大河が帰ってきた時にもっと面倒臭い事態に発展すると想像に難くないのだ。目を瞑るなり明瞭思い浮かべられる、お子様視聴厳禁間違いなしの陰惨極まりない未来予想図。それに比べれば、この時の自分の苦労など生まれ立ての雛ほどに可愛いものだ。
 
 しっかし、なんなんだこいつ……。
 とみに突っ伏してしまった亜美を振り仰ぎ、竜児は今度こそフルハタの構えを取る。右手をアゴ下に添え、只でさえ目付きが悪いそれを更に眇め、レッツ着想開始。
 性は川嶋、名は亜美。普段は、幼馴染みの北村少年でさえ呆れるほどの超絶猫被りの癖して、この無愛想な様子はどうしたものか。いや、むしろこれが地なのだが。
 向日葵を思い渡す磊落さは所詮大衆専用の仮初めで――、もともと素っ気ない性情をしている子であると竜児は重々承知している。そして、たぶん彼女の事を最も理解しているのが自分であるとも。一番理解しているからこそ、今日日の彼女は通例の淡泊な考え方とは少し毛色が違う、なるほどこれは論理がどうというよりも感情の問題に見えた。少なくとも竜児には。
 はてさて、何か嫌なことでもあったのだろうか。具体的に言えば調理実習の時間に大河と一悶着したとか。尤も、それはとっくの昔から恒久化された遣り取りなのだけど。
「ううむ」
 すると、ざわ……ざわ……と、遠巻きからTHE隔靴掻痒といった様子でこちらを俯瞰しているクラスメート達の気持ちを感得したかのように、竜児の視界がだんだんと斜めになっていく。
 一時を指していた時計は三時十分に。
 拾い上げた大河の缶製のペンケースに描かれた犬は蛙みたくひっくり返り。
 いつの間にか床に転がっていたらしい、春田少年は壁に背中を預けて屹立しているように見えて。
 程なく曲げた首の角度に限界が来たので、竜児は軽く居住まいを直し、再び自分の座席へと腰を下ろす。ガタッと椅子を引いた時に生じた大きな音にも対面の少女は気にせず、机との睨めっこを辞めようとしない。
 はてさて、どうしたものかな、ともう一度反芻する。
 僅かな逡巡の後、どっしりと背もたれに寄り掛かり、両腕を組んで溜息一つ。
 極めて当たり前の事だけど、どれほど首を傾げても俯せ状態の彼女が何を考えているかは汲み取れなかった。己にはスピリチュアルなんとかとか探偵の素質が備わっていないと実感できる数秒間だった。
「そもそも、何故に俺はこいつと飯食ってんだっけか。しかもふたりきりで」
 何故って、いつも通り仲良し三人組で昼食を摂っていたところに、突然亜美がこちらにやって来ては偉そうに佇み、そして傲岸不遜に鼻を鳴らしての「――邪魔」という一言を持ってして、春田少年と能登少年を追い払っちゃったからなのだが。
「……おう」
 なんにせよ、正直、互いの間に音が無いのは気まずい。滅茶苦茶気まずい。
 ましてや亜美は俯いているため、余計場に取り残されている感がある。
 ここで竜児は考える。望まぬ沈黙を守り通すくらいなら、いっそ怒らせて小言でも頂戴していた方が云倍増しではないか、と。
 そうだ、そうに決まっている。十秒も待たずしてそう安直に結論付け、竜児は恐る恐る亜美の後頭部を小突いて挑発してみて、だけどそれでも反応がまったく無いので髪の毛を弄って退屈を凌ぎ始めた。くるくると。さらさらと。髪の毛をふにふにと弄くるつもりなどこれっぽちもなかったはずが、俗に言う習慣という奴なのか、普段竜児の家で寛いでいる大河に何とはなしにそうしているように自然と彼女の髪の毛を人差し指に巻いていたのだった。
 そうしてまたぞろ溜息を吐き出すのだ。腹の底からたはーっとな。
 
「プライドが無駄に高いお前さんだ。遣いにやられて面白くないって気持ちはわからなくもない。けどな、そんなブスッとしなくてもいいんじゃないかな。特に本人を前にして」
 態度が解せないのなら言葉もそう。俯せ状態の彼女が吐き出す言葉郡は終始かなり小さく、まるで誰にも聞かれちゃいけない秘密の黒魔術でも唱えているみたいで、どれどれとちょっと意識を傾けた程度じゃ意味は成さない。あちらこちらでああだこうだと盛り上がっている昼下がりの教室となれば尚更だ。
「ふん、女心がスプーン小匙一杯程度も汲み取れない高須君なんて、豆腐の角に小指ぶつけて……ばいいんだよ」
「あんだよ、バインダーがどうかしたのか? それと豆腐の角にぶつけるのは小指じゃないだろう――って、まあ、今はどうでもいいか。
 とりあえず股下、大河が戻ってくるまでにお前の下にある消しゴムを回収しておかないと後々酷い目に遭うぞ。予め言っておくが、俺はとばっちりは御免だからな。お前らが喧嘩するといつも最終的に俺が痛い目を見るんだ。それも尋常ないくらいの……おい、訊いてるんのか川嶋?」
 そう言って竜児は、髪の毛を弄くっていない方の手で自分の話をスルーし続ける亜美を軽く小突く。
「もう、頭を叩かなくてもちゃんと聞こえてるわよ。これ以上馬鹿になったらどうしてくれんのよ。脳細胞が減っちゃって呆けちゃったら高須君の責任だからね」
「痴呆を心配する前に、数分後の俺の身の心配をしてくれ。犬の縄張り争いに巻き込まれるのはホント嫌なんだよ」
 喧嘩を仲裁する際に必ず大河に噛み付かれたり引っ掻かれたりと散々な目に遭わされ、ついでに表面的なダメージに留まらず、胃の調子まで悪くなる。前回は一週間以上も胃が荒れたままで、水ですら胃に通すのが一苦労だった。
「高須君の身の心配。ねえ。ああ、ほら、せっかくクッキーあげたんじゃん。お礼として高須君拾っておいてよ。亜美ちゃんは高須君とあの名前も知らない小娘のせいで疲れて疲れて」
「いやいや、クッキーをくれたのは斉藤さんとやらであってお前じゃないだろ。あからさまな情報改竄は感心しねえぞ。仮にお前からのクッキーを貰ったとしても、そんな危ない位置にある消しゴムを俺が取れるわけねえだろ。お前は間接的に俺を停学処分にする気か。俺の顔的に退学も余裕で有り得るぞ」
 そもそもだ。いくら当人同士が納得しているからといっても、こちらの事情を知らぬ周囲のクラスメート達には、職質常連の変質者が目を血走らせて女子のスカートを覗こうとしている様にしか見えないだろうに。
「悪いコトは言わねえから大河が帰ってくる前に拾っとけ。なんでか知らんが、大河、今日はいつも以上に機嫌悪いんだよ。朝っぱらから喚き散らしやがってうるせえのなんのって、とにかくうるせんだよ大河の奴。ああ、うるせえんだマジで。あれじゃあ嫁の貰い手を探すのは相当難しいな」
「…………」
 そこへ亜美がひっそりと何かを呟く。
「だから小声じゃ聞こえねえっての。言いたい事があるならもっとハッキリと言え。今日日の小学校で最初に習う事だろうが」
「…………って言ったの」
 ひそひそリターン。
「またも聞こえませんが。もしかして失語症かお前?」
 亜美の髪の毛をふにふにしたままで耳を近付ける竜児。
「だーーーーーーーもーーーーーー! 口を開けば、大河大河とマジうっぜえなこんちくしょうめ!!
 大体、高須君如きがこの私に落ちた物を拾えってか? ハッ、んな軽薄なコト言うのなら、よーし今すぐ返しなさいよそれ! てか返さなくていいからいっそブッ壊してしまえ!」
「あ!? え!? ちょ、ま、何をしやがるんだお前って奴は!」
 いきなりバッと顔を上げたかと思えば、これまたなんの前触れもなく、机の上に置いてある小袋をクラッシュさせようと仕掛けてきたのだから、この子はつくづく油断ならない。
 いつになく素早く反応できた竜児が慌てて小袋を宙に上げるや、即座にダンッという炸裂音を思わせる豪胆なBGMが耳を突く。それを合図に、せっかく拾い上げた大河の私物が再び空を駆け、ようやく気が落ち着いた一席前のクラスメート達が一気に涙目になってしまった。教室内の視線も再び集まってくる。
 それでも、本気で小袋を叩き潰そうとしていたらしい亜美の右手は、タッチの差の救出劇により、机だけを叩き付けている。照準を定めていたターゲットは今や竜児の腕の中で安らかに眠っている。危ない危ない……とクラッシャーの強襲を寸でで回避できた事に安堵の息を漏らす竜児だった。
「むーーーーーーーー」
 これに対し、あからさまに悔恨の情が滲み出ているのが亜美だ。
 乙女のプライドをベットした破壊作業をしくじった彼女は、挙げ句くしゃくしゃと頭を猛烈に掻き毟り、そして僅かな時間が経過した後に糸が切れたマリオネットさながらに一気に脱力してしまう。古き良き時代の漫画だと後頭部からプスプスと煙があがっていく場面だろう。
「お前、今日おかしいぞ」
 そんな事をぼんやりと思い巡らせつつも、ますます彼女の一挙手一投足が何を示唆しているのか量りかねる竜児だった。
 もともと人の考えを読むのは得意じゃない。むしろ大の苦手だ。ストライクと宣言された後にバットを振るくらいのニブチン故に、この瞬間はまるで難解極まりない立体パズルと相対しているように頭を悩まさせられる。
 それでも――。
 こんな愚鈍な自分にもわかる事があるとすれば、それは亜美が年頃の男にとって調理実習がどんなに重要なイベントであるかを理解していないという事実だ。
 調理実習After。自分が此処に辿り着くまでに要した年月は十七年――それだけの月日が短かったか長かったかなんて今更どうでもいい。男して惨めな人生だった。滅茶苦茶惨めだった。ただただ惨めだった。
 ああ、そうだ。単にモテナイばかりか、クラスの女子に何気なく声を掛けた程度で財布を渡されるという塩分まみれの人生に於いて、ようやく貰えたクッキーを寄りによって亜美みたいな恵まれた人種に台無しにされてなるものか。
 異性と縁がなさ過ぎたがために常日頃忘れがちなコト。つまり出来立てのお菓子が学園中で飛び交う風景こそが調理実習の在るべき姿という認識。…………実際につい先程まですっかり忘れていたのだが。
 そりゃあ竜児も年頃の男だ。調理実習なんて全然を意識していなかったぜ! と言えばピノキオの鼻が猛スピードで100メートルくらい伸びてしまう。かといって期待していたかと問われれば答えはノンで、要するに調理実習なるイベントの本質を見失っていたのだ、己は。
 だってしょうがねえだろ、と竜児は開き直ってみる。
 そういう日を笑顔で迎えられる男なんぞ所詮一握りの選ばれた人間のみであり、その他大勢からしてみれば、調理実習やバレンタインデーなどは世界中のほとんどの男を憂鬱にさせる日でしかない。これはモテないブラザーズにとってスタンダートな意見だろう。
 現に教室を見てみろ。ぐるりと首を廻して負け犬たちの住処を睥睨してみやがれ。
 一部の浮ついた雰囲気と多くの荒んだ雰囲気が見事に折り重なり、息を吸うのも億劫にくらいだだ重い空間を創り上げてるじゃないか。
 あいつもそう。そいつもそう。親友の眼鏡(not裸族)は言うまでもない。
 竜児含め負け組みはすべからくこの日が来るたびに思い煩うのだ。――いや、きっとこの瞬間も現在進行形で恨めしがっている。この国には、どうしてこうも女の子を囃し立てるイベントが多いのか、と。
 区切り在る日に想いを告げる事は確かにロマンチックかもしれない。もしかしたら……と有り得ない夢に憧憬していたぶん、異論反論を唱えるつもりはこれっぽっちもございません。
 しかし、だ。止める術のないロマンティック性を孕んだ催しの裏で、目の幅の血涙を流す輩が数多多くいるという事実を無視してはいけない。ああ、断じてだ。
 もう一度言う。体育館裏や中庭に在る大木の下に呼び出されるだなんて心嬉しいイベントは所詮自分とは別の人間がやる絵空事でしかない。毎度毎度自分には一生縁のない出来事なのだと言い聞かせながら学校を去る事がどれほど惨めなのか、身勝手なイベントを考案した方々はちっともわかっちゃいない。
「で、高須君はさっきから何をしてるの? なんか頭の上に奇妙な感覚がたゆたっているんだけど」
「ん、ああ、お前の髪柔らかいなって思ってさ。まるで洗い立ての子犬を触ってるみたいだぜ。大河とは雲泥の差だよ。あいつの髪はもっとギシギシしてんぞ」
 亜美が機嫌を直すまでのほんの暇つぶしだったのに、くるくると指に絡ませた時の馴染み易さに思いのほか楽しんでしまう。ずばり髪の毛を触っている感じがしないのだ。
 毛先がしっとりとしていて。つやつやとしていて。他の子の髪の毛の感触と言えばせいぜい泰子と大河くらいしか知らないけど、でも今し方摘んだ亜美のそれはどちらよりもうんと柔らかくて、そして気持ちが良かった。
 恐らくは生まれつきなのだろう。彼女みたいに細くて柔らかいと簡単に物が絡んでしまうに加え、髪の毛同士ですら絡んでしまうと女子連中が話している時に小耳に挟んだ覚えがある。それ故髪の毛の手入れは物凄く大変だとも。
 竜児は何とはなしに自分の髪を触ってみる。すると大河に負けず劣らずのギシギシ音が聞こえ、そのあまりの質の差に、なんだか妙に恥ずかしくなってしまった。幼少期より頑なに愛用してきたメリット(二倍希釈)の限界を認めなくてはならないようだ。
「あのねえ、高須君。髪は女の子の魂なんだよ。女の子は命の次に髪の毛を大切にしているの。そりゃもう気合入れて手入れするに決まってるでしょうが」
「へえ、やっぱ日頃の手入れは重要なんだな。けど大河はさほど気遣ってない印象があるぜ。前に、面倒臭いからって台所洗剤で頭洗おうとした事もあったし」
 だからこそ、あんなにも荒んでしまっているのだろうけど。
「やめて。あーんな生活感が無いチビ助と一緒にしないでちょうだい。それでなくとも私はスーパーなデルモなんだよ。カメラの向こう側にいる人達の羨望の視線をこれでもかってくらい浴びるため、日々研鑽を積まなきゃいけないんだからね」
「つくづく難儀な職業だな、モデルってのは」
 亜美を含めたああいう人種は、もって生まれた才覚を活かすためだけに煌びやかな仕事を選んでいるのだと思っていたが、案外そうでもないらしい。偏見はいけないな、と竜児は軽く自分を恥じる。彼女達は髪の毛とか肌とか身体のラインとか、自分なら一切気を遣わない一つ一つに神経を注ぎ、きっと四六時中休み暇もなく数字との二人三脚を強いられているのだろう。それでいて彼女はかつて熱心なファンに追いかけ回されたのだから、とんだ職業だ。
「……が、非常に言い辛いんだが、ここで努力家のお前にとって悪いニュースを二つばかしお知らせしなければならなくなってしまった。俺とした事がトンデモない失態を犯してしまったのだ」
「――高須くんさあ、私が俯いている間に何してくれやがったのかな? 怒らないから正直に言ってくれると亜美ちゃん嬉しいなあ」
「ホントに怒らねえ? 嘘吐いたら針千本飲むか?」
「うん、絶対に怒らないから。仮に怒ったとしても針千本を一気飲みするのは高須君だから」
 文字で見ると普通の会話に見えるだろうが、「絶対に怒らない」と言った彼女の口調は、先程同様、やっぱり圧力投げに突っ込んだようなドスが利きまくった超低音ボイスであり。
 でも、すでに声が怒っているじゃん、とは突っ込まない。どう足掻いても大炎上必至のM.I.とはいえ、むざむざ発火時間を早めてしまうのも趣味が良いとは言えないから。
 きっと自分は頬を張られるんだろうなあ。ああ、間違いない。こんな事をして張られないはずがないもの。
 ハッキリと見える、擦り傷だらけとなった数秒後の自分。地雷原を裸一貫で駆け抜ける覚悟ができたた竜児は気まずそうに首を二三度掻いた後、
「まあ、なんだ。嘘吐いてもすぐにバレるだろうから、正直に、そして単刀直入に言うがな。……一つ目は修正液をカールさせて遊んでいたら髪に絡まった。二つ目は無理に修正機を外そうとしたら、その……中の液体が漏れた。真っ白なアレが豪快に、どばっと」
「あー、なーんだ、それだけの事かー、亜美ちゃんもっと大変な事が起こったのかと勘違いしちゃったー、やだーもうー」
 ちなみにこれは棒読みである。
 嘘偽りのない真実を訥々と告げるなり、さっそく髪の一部分だけを真っ白に染めた亜美がわなわなと肩を震わせ始めた。次第に机や其処に乗っている大河の筆箱などがカタカタと揺れ出し、その不気味な様相と来たらまさに噴火直前の火山の如し。依然机に額をくっつけたままだから表情は僅かなりにも窺えないけれど、とはいえ、間違いなく、確実に、100%彼女は怒っているわけで。それも仲間の敵討ちを誓った最野人程に。
 いくら鈍感な己でも自分の命がもう幾ばくも残されていないと悟れる程の、超絶インパクト。
 
 
「って、お前は馬鹿かあああああああああああああああああ!!!!!!」
 うわ、星一徹!! って叫びそうになる、予想通りの展開。
 数秒後、鼓膜を破かんばかりの凄まじい絶叫が教室内に響き渡ったのだった。
 
 
 
 <<後編へ続くかもしれないし、続かないかもしれない>>





















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テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  1. 2009/08/09(日) 01:04:46|
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