「直前に売り上げが伸びるのは当然として、当日を過ぎてもしばらく売れるんだろうな。直前は買い難いから逆に食いたくなるし。平時に戻れば普段よりは買おうって奴も増えるだろう」
「誰からもチョコを貰えない人は、そうかも。でも安心してね、お兄ちゃんにはとびっきりのをあげるから」
上機嫌で言うエリスは、浩樹の腕にしがみついて歩いている。浩樹は邪魔だと何度も言っているのだが、全く聞く気配が無い。受け入れているわけではなく、諦めているだけだ。
会話の内容について、何の事かと問われれば、もちろんバレンタインの話である。
休日の昼過ぎ。浩樹とエリスは、適当に町をぶらついていた。暇を持て余して外に出た浩樹に、エリスが勝手について来たのだった。
まあ目的があるわけでもなし、適当な店を冷やかしにでも行ってみようかというところだ。
無目的に町を歩いていると、時期がちょうどよくバレンタインの直前なこともあり、エリスに引っ張られて菓子を置いている店を梯子している自分に気づく。
今は外を歩いているが、じきにまたケーキ屋にでも連れ込まれるのだろう。
「去年はどうだったの?」
「寂しい限りだ。ああ、義理だが竹内と萩野がくれたか。今年は霧の奴も義理くらいはくれるかも知れん」
「どこが寂しいの。今年は私以外から貰っちゃ駄目だからね」
「無茶を言うな……。どうせ貰っても義理だろ、気にするほどのもんじゃない」
「お兄ちゃんは、自分がどれだけ素敵な男性か分かって無さ過ぎるの! いいから約束して。義理ならともかく、本命は絶対受け取らないって」
「ああ、分かったよ。どうせ貰わんしな」
「絶対の絶対、約束だからね」
何の変哲も無い下校風景。
竹内麻巳の自宅は、喫茶店を経営している。今日は木曜日で、その手伝いをする日だ。早めに部活を切り上げ帰宅する麻巳は、クラスメートの美咲菫と一緒だった。
必ずというわけではないが、木曜と土曜は一緒に帰ることが多い。麻巳がウェイトレスを努める喫茶店で、菫はそのままコーヒーをご馳走になり、暇を見つけて雑談をする。偶然に菫が店を訪れて後、そうして二人は仲良くなったのだ。
「竹内さんは、バレンタインはどうするんですか?」
「美術部の男子と、お世話になっている先生方に渡すくらいだけど。菫さんはどうなの?」
「私は上倉先生に……。竹内さんは渡さないんですか?」
「お世話になってるというか、してる気もするけどね。もちろん特別なのを考えてるわ」
企みを思い出しつつも、怪しげな笑みで誤魔化す麻巳だった。
バレンタインが近い。浮かれた話をしているクラスメートもちらほらと散見される。
興味無い、関係無いという顔をしている藤浪朋子は、それでも何となく頭に浮かぶ顔があったりした。
「朋ちゃーん!」
教室で読書に励んでいた朋子は、いきなり後ろから抱きつかれて面食らう。
何とか体勢を立て直すと、抱きついて来た萩野可奈に不満をぶつけた。
「いきなり何するんですか」
しかし、可奈はその天真爛漫さをもって華麗にスルーした。
実に楽しそうな笑顔で、一方的に喋り出す。
「えへへー。もうすぐバレンタインだよねー」
言われて、朋子は慌てた。先ほどまでそんな事を考えていた。
アレは気の迷いというか。とにかく相手はあんなじゃない、断じて違う。
そう自分に言い聞かせながら、朋子は言った。
「ま、まあそうみたいですけど。私には関係な……」
「エリスちゃんと三人で手作りチョコにしよーね。どうせ渡す相手も同じだし、朋ちゃんの家がいいなー」
一人で盛り上がっている可奈は、朋子の話を全く聞いていない。
「うちは別にいいんですけど、そもそも私は……」
「あ、エリスちゃんあのねー」
次々と勢い良く言葉を並べた挙句に、エリスを見つけ、そっちにすっ飛んで行く可奈を見て呆気に取られる朋子だった。
「聞いてないし……。いつも以上にテンション高いわね」
呆れながらも、楽しそうな友人の姿を眺めていると。
何だか自分まで楽しい気分になってくるのだった。
「まあいっか。何とかなるでしょ」
意味も無く楽観的に考えられる自分に驚きながらも。
来るその日に思いを馳せつつ、楽しげに読書を再開する朋子だった。
バレンタイン当日。
浩樹はエリスから、今朝も念を押されていた。本命のチョコなんて貰ってきたらグレてやる、だそうだ。
まあ心配することもない――と思っていたら、朝一番で特攻してきた奴がいきなりやってくれた。
「はい、先生。チョコだよ~」
遅刻寸前に来て――もとい、遅刻寸前に来た浩樹を校門で待ち構えていた萩野可奈は、返事など聞きもせずに押し付けていった。
包装してあったが、メッセージカード付きのハート型。間違いなく義理ではない。
突っ返すのも難しいが、それ以前に時間も無いので押し問答している時間は無い。エリスの行動を予測でもしていたのか、見事なものである。
まあ一つくらいなら帰りまでに食えばいいだろう。浩樹は、そう気楽に考えていた。
一時間目が終わった。受け持ちが無かったため、浩樹は美術準備室でボーっとしていたのだが。
チャイムが鳴って一分も経たない頃。朋子が準備室を訪れた。
「藤浪か。どうした、何か用か?」
入り口の扉を一歩入った辺りで、朋子は動かない。心なしか、頬に朱が差している様にも見える。
「べ、別に用ってほどでも、ない、けど……」
思ったこと以上にズバズバ言ってしまうはずの奴が、今日はやけに歯切れが悪い。
おかしな病気にでもかかったか。それほど丈夫な方でもないしな。――浩樹がそのように考え、心配して声を掛けようとすると、それに先んじて朋子は言った。
「これ、あげる。言っておくけど、昨日のお礼だから。深い意味は無いわよ。もちろん義理だからね」
言い捨てて、直接渡さずその辺の机の上に包みを置いてから、挙動不審な朋子は逃げるように準備室を後にした。
浩樹は昨日、厄介な課題を出されたという朋子に、図書室まで連れ出され、資料漁りを手伝った。その礼に義理チョコでも持ってきたんだろう。
エリスも義理はOKと言っていたわけだし、とりあえず問題はないはず。
「っておいおい」
驚く浩樹の手に有るチョコは、これまたハート型だった。しかも両手の平を広げて並べたくらいの大きさ。鈍感と日常的に言われる浩樹といえど、これが義理チョコに見えるほど耄碌してはいない。
「真意はともかく、エリスには見せられんよなぁこれは……」
ノルマが二つに増えてしまった。やれやれ、と浩樹は複雑な心境でため息をついた。
二時間目の授業が終わると、今度は美咲菫が顔を出した。
三時間目の授業が終わると、なんと理事長代理が浩樹の元を訪れる。
いずれも、見たことも無いほど綺麗な紙で包装されたチョコを持ってきた。どう頑張っても義理チョコに見える代物ではない。
気前の良い、裕福なお二方なので、真意はともかくこういった高価そうな品が来る事は、有り得ない話ではない。
「とはいえ。これはさすがに、家に持ち帰るわけにはいかんよなぁ」
ノルマ四つ、というのはいい加減無理がある。浩樹とて甘い菓子が嫌いなわけではないが、決して甘党ではない。
何かの間違いで、これがさらに増えたりしたら。考えるだけでも恐ろしい。
「昼休みからはどこかに隠れるか」
こう立て続けとなると、さすがに悪い予感がしてくる。
浩樹は我が家とも言うべき準備室を離れ、しばらく身を隠す事にした。
「こんなところで何をしてるんですか?」
昼休み。
屋上で煙草を吸いながら空を眺めていた浩樹に、声を掛けてくる者が居た。
四時間目の授業が入っていないため、早めの昼食を終え、時間を潰していた浩樹であるが。考えてみれば、昼休みといえば竹内麻巳なのである。
彼女は美術部部長を務め、常に浩樹に振り回される苦労人。結果、顧問である浩樹を探し出すことにかけては学内随一である。
(他にも色々と随一な気がするが……)
心の中でだけ一人ごちると、浩樹は半ば諦めたように言った。
「まさかお前もチョコだとか言うなよ」
「どうして分かったんですか?」
言いながら後ろ手に隠し持っていたものを取り出す麻巳。
それは結構なサイズで、店名の無い包装紙で丁寧に包まれていた。買ったものか、作ったものかは分からない。
「義理、だよなもちろん」
「残念ながら、義理ではありませんね」
言葉の割りには色めいたものは欠片も感じず。あっけらかんと言う様子を見ていると、どうにも本命とは思えない。
「開けてみれば分かりますよ」
この場で開けろと言っているようなものである。
まあ仕方が無い。浩樹は観念して、言われた通りに包装を解いていった。
中の箱まで蓋を開けると、そこには絵馬の形をしたチョコがあった。やけに達筆な文字で『美術部再興!!』と力強く書いてある。
「言葉でも駄目、外から叩いても駄目となると、中からならどうかな~と思いまして」
「どんな宗教なんだ、お前の家は……」
「クリスチャンですけど、それが何か?」
「節操無いのは、どんな宗教やってても日本人の証か……」
「それはいいですから。さあ、どうぞ。美味しいですよ」
笑顔で促してくる麻巳だったが、このチョコなら何とかエリスも誤魔化せる気がする浩樹である。
昼食代わりに、やっと可奈と朋子のチョコを食べ終えたばかりの浩樹としては、出来れば腹の容量を他のチョコに割り振りたい。
「どうしても食べないと駄目か?」
「今日ばかりは信用して騙される気はありませんから。さ、どうぞ食べてください。この場で全部」
そう言われても、結構な大きさである。すでに巨大なチョコを二つも平らげたというのに、これはキツイ。
とはいえ、麻巳は変な企みのようでいて実に楽しそうだった。いつも迷惑をかけている手前、浩樹としても素直に聞いてやるべきかという気分になる。
そんなこんなで、仕方なく三枚目のチョコを食べる浩樹だった。
その後、午後の授業でも、生徒からいくらかチョコを受け取り。
部活では、竹内部長主催による、浩樹も含めた男子部員対象のチョコ配りにより、当の麻巳やエリスを含む女子部員連名の小さな義理チョコを頂き。
帰り際には霧に捕まり、案の定、義理には見えない義理チョコ(本人が言い張った)を貰い、家に帰る浩樹。
夕飯を食べながらも、憂鬱な気分だった。
まだエリスからのチョコを貰っていない。チョコを貰ったかとも聞かれない。それが逆に怖い。
異様な笑顔を張り付かせたエリスとの、大した会話も無いままの夕飯を終えると、後片付けを申し出たエリスに後を任せ、浩樹は風呂に入る。
湯船につかり、十分に温まってから自室に戻ると。
不審人物が進入していた。
「ほ、ほひぃひゃん!?」
「なにをやってんだお前は」
入り口付近に立ち、呆れ気味に半眼で眺める浩樹を振り返り、チョコを口一杯に詰め込んだエリスが冷や汗を垂らしている。
エリスの目の前には、浩樹が今日貰ってきたチョコを詰め込んだ紙袋がある。中身は見事に荒らされていた。
しかしよく見てみると、開けられた箱の全てに、半分ほどに減った中身が残されている。全て処分してやろうと思ったのに、そこまでは踏み切れなかったようだ。ギリギリのところで善良な自分を捨てきれないあたり、いかにもコイツらしいと苦笑するしかない浩樹だった。
「俺は別に構わないんだが。半端なやつだな。後で分けてやろうとも思ってたんだぞ」
「うー……」
チョコまみれの顔で振り返るエリスは、涙目になって唸っている。年相応の女の子らしく甘いものは大好きなはずだが、それでも限界らしい。
何とか口の中の物を飲み込むと、さすがに罰が悪そうにエリスは言った。
「学校で渡そうと思ったのに、いつも間が悪くて。お兄ちゃんも満更でもなさそうだし……」
全部ではないだろうが、浩樹がチョコを貰っている場面を目撃していたのだろう。
いつもならそれでも、というかさらに勢い良く突っ込んできそうなものだが。
「どんな葛藤があったか知らないが、俺が楽しみにしてたのは一つだけなんだけどな」
深い意味ではない。単に、必ず貰えると思っていたのは一つだけ、という意味だが。言葉というのは、実に便利に出来ている。
浩樹は思いついたように手を差し出した。
唐突に差し出された手を不思議そうに眺めるエリスに、浩樹の言葉は意識せずとも優しげだった。
「早くくれないか。そろそろ我慢も限界だぞ」
持ち帰ったチョコに、まだ一つも手をつけていないことは分かっているはずだった。
浩樹の言葉を受けて、エリスの表情が途端に明るくなる。
「貰ってくれるの?」
「くれないのか?」
疑問に疑問を返されると、エリスは慌てて自室にすっ飛んで行った。
エリスは朋子の家で、可奈も加えた三人で一緒にチョコを作ってきたことを、浩樹は後日知る事になる。
ちなみにエリスのチョコは、見た目はそれなりに頑張った後が見えるものの、案の定、味の方は期待通りのものだった。
朋子のも可奈のも、微妙ではあるが何とかチョコの味がした。我が従兄妹殿は本当に不思議な腕前の持ち主だ、とそれなりに上機嫌で考えている浩樹に、エリスが思い出したように言った。
「そういえば、お兄ちゃん。朋子ちゃんと萩野先輩のチョコが見当たらなかったけど、貰わなかったの?」
「も、もちろん。何かの気紛れだろう」
まさかそんな事を直接本人に聞くわけはない、と油断していた浩樹だったが。
そんな理論の通用するはずも無いエリスに、後日、必死で弁解する羽目に陥るのだった。
目次へ戻るテーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学
- 2007/02/14(水) 00:00:00|
- 短編
-
-