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竹内麻巳SS倉庫

Canvas2というゲームで、美術部部長の竹内麻巳のSSを掲載していく予定です。

ALL HEROINES! ~朋子ちゃんと愉快な仲間たち~

  ――――遭遇編――――


 公園――と言ってもいつもの児童公園ではなく、撫子学園に近い大きな自然公園。気まぐれで散歩に来たら、いつも餌をやっている猫のタロウを見つけた。
 珍しい、こんな遠くまで縄張りにしていたの? 意外と大物? ――なんてことを考えながら、日向で丸くなっているタロウに近づいてみる。近くでよく見てみれば、毛並みは似ているが別の猫だった。
 あと一歩というところまで行くと、寝ていたはずの猫がのそりと立ち上がる。人間の町に暮らしていようと、野良猫は野生の獣だ。警戒心が強い。
 いつもはタロウにやる事が多いけれども、決して専用というわけではない子袋を取り出し、あたしは中身の煮干しを一つ差し出した。
 目の前でゆっくり揺らしてやると、興味を持ったらしい。鼻をヒクヒクさせながら、煮干しの動きに合わせて、猫の目が頭ごと上下する。
 あたしは自分の頬が自然と緩んでいくのに気が付いた。
 動物は好きだ。特に猫が大好きだ。懐いてくれれば言う事はないが、遠くからその姿や動きを眺めているだけでも、幸せな気分が膨らんでいく。餌だけが目的だったり、時には気分を害して引っ掻かれたりしても、何故だか怒る気にはなれない。
 ――小さい頃のあたしには、外に出る自由は無かった。ずっと窓から外を眺めるだけの日々。そんな日常の中で、ほんの短い期間だけ例外的に、あたしは世界を知ることになる。
 心臓の病気でずっと入院していたあたしを、いつも訪ねて来てくれるお兄ちゃん。名前も知らない、顔も今やおぼろげにしか思い出せない。けれども、ほんの短いその期間が、今も昔もあたしにとって一番の宝物。
 お兄ちゃんは絵が好きだった。絵が上手かった、と言うべきかも知れないけれど、あたしはそう記憶している。最初は視線を向けることすらしなかったあたしに、ただ意地になって絵を描いて見せていた彼は、あたしが喜ぶようになると、あたし以上に幸せそうに絵を描いて見せたものだ。絵が上手いこともそうだが、その時の彼の表情や、ぶっきらぼうなのにどこか暖かい言葉の数々の方が、ずっと強く印象に残っている。
 彼は外に出られないあたしに、自然や動物を一杯描いて見せてくれた。それ以前から読書は好きだったし、他にやる事も無かったけれど、この経験の前と後ではあたしの読む本の傾向はかなり変わっている。他人との関わり方も、これでかなり柔らかくなったのだ。以前は拒否するどころか、何の反応も見せない子だった。
 それほどに鮮烈な記憶、彼が居なければ今のあたしはもっと嫌な人間だったと思う。エリスちゃんや可奈先輩を受け入れ、友達になる事も出来なかったかも知れない。
 そんな彼の絵の中でも、あたしが一番気に入ったのが猫だった。あたしはいつも猫の絵をおねだりして、お兄ちゃんは「仕方ないなぁ」と言いつつも楽しそうに描いた。出来上がった絵をあたしが喜ぶと、調子に乗っていくらでも描いてくれた。
 初めは気になった程度だったのに、今やすっかり猫の虜だ。いつでも餌になるものを持ち歩くくらいだから、自分でも重症だと思う。
 飼ってしまえばいいのに、と思われるかも知れない。実際、エリスちゃんにも可奈先輩にも言われた。しかし、あたしは身体が弱い。責任を持って世話を出来る自信が無いし、両親はあたしの医療費の為に共働きだから面倒をみてもらう訳にはいかない。責任をもてない人間が、動物を飼うなんて、絶対に許せない。だから、こうして外で餌付けして遊ぶのが精一杯なのだ。
 まあ、それについて悔しいと感じたことも無い。飼いならされた動物よりも、自由に動き回る姿が、自分は好きなのだと思う。そう考えるのは、身動き取れない子供だった、その反動かも知れない。
 あたしが何の芸も無く、ひたすらに煮干しを揺らしていると、警戒して毛を逆立たせていた猫がようやく落ち着きを取り戻してくれた。
 猫は座り込んで、じっとあたしの目を見てくる。ちょうど猫と自分との真ん中辺りに煮干しを放ってやると、あたしと食べ物とを交互に見た。
 あたしは不意に目を逸らした。猫が動く気配を感じる。
 餌を持って逃げようというのだろう。しかし、そう簡単に逃がすつもりはない。
「いいのかな~?」
 煮干しを咥えた猫の目の前で、あたしは新たな煮干しを揺らしていた。逃げようとしていた猫は、迷ったように固まっている。
「あげちゃおうかな。どうしようかな?」
 今度は横に振ってみた。猫は視線と一緒に頭まで横に振っている。煮干しは咥えたままだ。
 食い意地の張った猫だ。お腹が減っているのだろうか? ならもう少しあげてもいい。ただし、仲良くなってもらいましょう。
 あたしは二本目の煮干しを、また猫と自分との真ん中辺りに放り投げた。猫は、今度はすぐに近づいて咥える。今度はそのまま逃げようとはせず、あたしの顔を見上げて物欲しそうに見ている。
 どうやらあたしがまだ持っていることに気づいたらしい。そして、それをくれる人間だということも。
「もしかしてお前、誰かに餌付けされてる?」
 聞いてみても、猫は何も言わない。
「にゃにゃにゃにゃ、にゃーにゃーにゃ?」
 猫語で言ってみた。――ん~、通じても答えは結局分からないか。浅はかでした。
「まあいいか。よし、たくさんあげる」
 あたしは残りの煮干しを全部あげた。ついにあたしの足元まで来た猫は、その場で煮干しを食べ始める。座り込んでその様子を眺めているあたしを、あまり気にせずに貪り始めた。
 まあ、誰かに餌を貰っていても、あまり関係ない。どうせ野良猫なのだから、誰かに何かの権利があったりもしない。名前だって、それぞれが好きに呼ぶ。そういうものだ。
「よし、それじゃあお前はイチローだ」
 タロウの次がジローでは、あまりに捻りが無いし、この子が二番目と言っているようで嫌だった。だからあえてイチロー。
 指差して言うあたしに、食べるのを止めて顔を上げたイチローは、にゃあ、と肯定するように鳴いた。
「あら。今日は先客が居るのね」
 不意に後ろから声をかけられ、あたしは驚いて振り向き――その人物を視界に収め、更に驚いた。
 あたしは読書が趣味で、時間などいくらでもあった。知識量で同年代に負けることは殆どない。だからよく知っている。あたしの背後からイチローを覗き込んでいるこの人は、場違いにも程があった。公園に、というかそこらの現実世界にウロウロしているはずがない。
「――なに?」
 誰、ではなく、あたしはそう疑問を口にした。人物が何者かというより、この状況が理解出来ないことの方が大きかった。
「ごめんなさい、邪魔しちゃったかしら。私は近くの喫茶店で働いていて、休憩時間に外に出た時に、暇つぶしというか気分転換というか……。この子に、その相手をしてもらってるの」
「そっちじゃなくて。なに、その格好」
 彼女は中世ヨーロッパで見られた女性使用人――つまりメイドさん、という感じの格好をしていた。凄く綺麗な人だし、似合っていると思うが、問題はそんなことじゃない。
「ああ。これはウェイトレスの制服なの」
 平気な顔で答える彼女は、自覚があるのか無いのか。
 頭の良い人というのは、喋り方だけでも多少は分かる。少なくとも、メイドという存在を知らないほど知識が薄い人には見えなかった。
「この子を先に餌付けしていたのはメイドさんなの?」
「そうよ。――というか、メイドはやめて。お願い」
 やけに真剣に言ってきた。やはり分かっててやってるのか。
 無理に開き直って着ているのかも知れない。しかしその場合、果たして平気な顔で外に出たりするだろうか? ますます謎な人だ。
「で、何か用ですか。この子に餌をやっていいのは自分だけだ、とか?」
 初対面の人には、どうしても刺々しい口調になってしまう。学校では大分慣れてきたのに、一歩外に出るとこれか。自己嫌悪に陥りそうになる。
「そうじゃないの。ただ、一緒に楽しめる仲間が居たというのが嬉しくて。声をかけてみたくなったの」
 ありもしない悪感情だが、それでも伝わらなかったはずは無い。だと言うのに、彼女は気にした風もなく笑顔で言った。
 あたしは頭の悪い人間が嫌いだった。いきなり馴れ馴れしくしてくる人もだ。――今や大親友となった二人は最初から馴れ馴れしかったけど、ともかく初対面で苦手なのは今も変わらない。
 この人は、そのどちらにも当てはまらなかった。強いて言えば、理想的な教師というところか。絶妙な距離感で、近づきすぎず遠すぎず、心地よい深さで接してくれる。
 あたしは捻くれ者だから、出会ってすぐに好感を抱く相手など殆ど居ない。しかし、気に入った猫を一緒に眺める仲間意識も手伝ってか、自然とその言葉は漏れた。
「……餌、一緒にあげる?」
「いいの?」
「勝手にすればいいのよ。誰にもそんな権利も義務も無い。決めるのは、この子なんだから」
 いつの間にか、あたしの口調は柔らかくなっていた。何だか不思議な人だ。
「ありがとう」
 優しく笑って言うと、彼女は餌を取り出した。――煮干しだった。
「考えることも同じみたいね」
 彼女は自嘲気味に笑った。
「――まあ、この子も喜ぶでしょ。魚が好きだし、飽きるなんて贅沢は人間しか言わないわ」
「確かに」
 肯定しながら、楽しげに餌をやるメイドさん。実に絵になっているが――ここは貴族の庭園ではなく庶民の公園である。やっぱり、なんか変な感じ。
 一心不乱に食べ続けるイチローは、とりあえずあたしの餌をおいといて彼女のやった煮干に食いついた。両方食べ比べてみよう、というところか。グルメな猫だ。
「ところで、イチローのことを何て呼んでるんですか?」
 彼女の持つ、年上の大人びた『女性』という感じの雰囲気がそうさせるのか、私は自然に敬語になっていた。
「次郎さん、って呼んでるけど。そんなに拘りも無いし、呼び名が二つもあったら紛らわしいから。これからはイチローさんと呼ばせてもらうわ」
「いいんですか? 他にイチローって猫が居るんじゃ。タロウ、だったらいいんですけど」
「ああ……。そうじゃなくて、最初から次郎さんなの」
 誰かから名前を貰った、というところか。何も順番に付けるだけが名前じゃない。
 私がそう聞いてみると、それも違う、と彼女はやんわり否定した。
「一番になるより、二番手のままずっと追いかけていたい。一番になれない悔しさ、そこには楽しさもある。目指すものがあり続けてくれることは喜びなのよ。だから、二番目にもきっと価値があると思うの、その人次第でね。そんな風に思ってる時に、この子と出会って」
「それで次郎――さん?」
「そう。本当に辛かったから、助けて貰った気がしたの。他にも助けてくれた人は居たけど、なかなか尊敬させてくれないから。だから代わりに、ね」
「猫にも劣るだなんて。その人も相当ですね」
「あんなのと比べたら、じろ――もとい、イチローさんに失礼です」
 人差し指を立てながら、なんだか本当に教師みたいな仕草で、冗談めかして彼女は言った。その人を貶めるような言葉なのに、何故か逆のものを感じた。
「それじゃ……あたしは次郎さんって呼びますね」
「いいのよ、気にしなくても」
「お姉さんのお話を聞いて、気に入ったんです。あたしは次郎って名前を避けたのに――面白いなって。他の人の考え方がこんなに新鮮で楽しいなんて思わなかった。私の中に無いものを感じた。そうしたらもう、次郎さんって呼ぶしか無くなってた」
「そんなに大層な話でも無かったと思うんだけど」
「なら、勝手にイチローって呼んでてください。あたしは次郎さんって呼びますから」
「強情ね」
 意地になってしまったことに、あたしはハッとなって手で口を塞いだ。長年の性分は、色々あって幸せに過ごす今でもすぐには抜けてくれない。
 大切な時間を壊してしまった――そう思って恐る恐る彼女の表情を伺うと、次郎さんを見ながら優しげに笑んでいた。
「……あたし、自分を捻くれ者だな、と思います」
「そうなんだ。奇遇ね、私も――概ね誰かさんのせいだけど、そんな気がする」
 さっきと同じ、愚痴のようなことを言いながら、どこか楽しそうな幸せそうな、不思議な表情で彼女は言った。
 その人のことを聞いてみたい、そう思う。しかし、名前も知らない、出会ったばかりの相手だ。しかも、直接に触れないよう言葉を選んでいるのが分かる。私はそこで気にせず踏み込むほど愚か者ではなかった。
 変わりに、当たり障りの無い方の疑問を口にする。
「ところで、歳は幾つなんですか?」
「秘密。――どう見える?」
 彼女は悪戯っぽく言った。
 大人っぽい美人さん、年齢は分かりにくい。かなり若いのは確かだが、あたしよりは上だと思う。しかし貫禄というか風格というか、纏う空気がとても高校生くらいの子供には見えない。大学生だろうか?
「二十歳くらい?」
 推測すらまともに出来ず、あたしは当てずっぽうで言った。
「はずれ」
「じゃあ……」
「回答権は一回だけです」
 やんわりと、しかし有無を言わさぬ一言に、あたしは反論も出来ず押し黙った。声の強い人だ、指示することへの慣れを感じる。何者か余計に興味をそそられるが、余計に詮索してこの時間を壊すことをあたしは恐れた。
「それなら、あたしは幾つくらいに見えますか?」
「そうね。中学生には見えないし、でも受験生には見えない。高校一年生にしては、落ち着きがあるし……」
 落ち着き、あるだろうか? それとも、私は意外に猫被りなのかも知れない。
「高校二年生、十七歳。どうかしら?」
「惜しいけど、ハズレです。もちろん回答権は一回だけ、ですよね」
「残念」
 少しも悔しくなさそうに言う彼女の興味は、完全に猫の次郎さんに戻っている様だった。見ると、次郎さんは二人であげた煮干しを全て胃袋に収めたところだった。
 完食してすぐに立ち上がる次郎さんは、緩慢に動いて去っていく。明らかな食べすぎだった。
「ほんと、食い意地の張った奴ね」
 あたしは肩を竦めて言った。あたし達は、声を立てて笑った。

 彼女とは完全に意気投合したけれど、お互いに名乗りもしないまま別れた。その後、気紛れの多くなったあたしがこの公園を訪れ、顔を合わすことが多くなった。会うたび、一緒に次郎さんに食べ物をあげて、次郎さんが去るとあたしたちも去る。ただそれだけの関係。
 赤の他人のままなのに、名前を知っている殆どの人よりも身近な、なんだか不思議な関係だった。
 世の中には色々な人が居て、色々な関わり方があるのだなぁと、私は小さな感動を抱いていた。
 この不思議なメイドさんの意外な正体を知ることになるのは、ずっと後のことになる。






  ――――接近編――――


「こんにちは」
 先に来ていて、次郎さんの相手をしていたメイドさんに、あたしは挨拶をした。
 ちなみにメイドさん、というのは仮称。本人が嫌がるので、心の中だけでそう呼んでいる。本人がどれだけ嫌がっても、どうしてもそう呼びたくなる人なのだった。
「いらっしゃい」
 座り込んで次郎さんに餌をあげていた彼女は、こちらを向いて微笑んだ。
 職業的に笑顔を絶やさないであろう人の、職業的な姿での、職業的でない自然な笑顔。同性のあたしでもドキッとする。――さすがにもう慣れたけど。
「すみません。今日は友達が付いて来ちゃって……」
 あたしはまず謝ることにした。彼女なら気にしないと分かっているが、それが暗黙のルールを破る行為だという気がしたから。
「あの、はじめまして」
 エリスちゃんが一歩前に出て、挨拶をする。
 メイドさんは立ち上がり、エリスちゃんに話しかけた。
「はじめまして。よろしくね」
 そう言ってくるメイドさんに、エリスちゃんは相手を見たまま呆けていた。
 ふと気が付くと、メイドさんも引きつった顔で固まっている。
「どうしたの、二人とも。もしかして知り合い?」
「そっ……。違うの。ただ、あんまり綺麗な子だと思って」
 慌てて誤魔化すメイドさんは、あたしが初めて目にするほど狼狽していた。いつもスキの無い感じなのに、こんな顔もするのかと意外に思った。
 唐突に、エリスちゃんがメイドさんに迫り、至近距離から顔を観察する。何か悩んでいるような、真剣な表情だった。
 その視線を避けるように、メイドさんはあらぬ方向へ顔を逸らす。エリスちゃんがそれを追って回り込む。右に回られたら左へ、左に回られたら右へ、と巧みに顔を逸らすメイドさん。だんだんと、その表情に汗が滲んできた。
「あの、もしかして……竹内先輩?」
 やっと考え至ったのか、エリスちゃんは恐る恐る尋ねた。
「まさか、こんな意外なルートでバレるなんて思わなかったわ……」
 答えは正解だったらしく、メイドさん――改め竹内さんは観念したように肩を落とした。
「それ、バイトの制服ですか?」
「ええ。家がすぐ近くなの。喫茶店をやっていて……」
「わあ。凄い! 知らなかった! 凄い、行ってみたい! いいですよね、竹内先輩!」
「ま、まあいいけど……」
 食い付きそうな勢いでねだるエリスちゃんの勢いに押されて、竹内さんは僅かに身を引きながら言った。
 ――さすがに可奈先輩には劣るものの、エリスちゃんも天真爛漫な子だ。その無邪気なお願いは、何となく拒絶しにくい雰囲気を持つ。あたしと一緒で、竹内さんもその相手をしているといつもの調子を崩されるらしい。
 出会った頃から超然としていた、自分などとは別の存在のように感じていたメイドさんが、人並みの反応を見せることで、なんだか身近に感じられて嬉しかった。

 喫茶店に到着すると、テーブル席を案内された。入るときに確認した看板には『やどりぎ』と書いてあった。店名も店構えも、内装についてもセンスを感じる。彼女の働く場所としては、相応しい空気だと思った。
 エリスちゃんと二人、席に座って待っていると、竹内さんがコーヒーカップを二つトレイに載せてやってきた。
「すみません。あたしが迂闊なことを」
「いいの。秘密にしたければ、大人しくしていれば良かっただけだから。自業自得よ」
 さっき落ち込んだ直後なのに、もう平静な声で答えている。切り替えの早い人だ。――見習いたい。
「わあ。凄い! こんな美味しいコーヒー飲んだ事ないです!」
「本当に……。飲み物で感動したのなんてはじめて」
 エリスちゃんは興奮してあれこれと質問している。その向かいの席で、あたしは情報を整理していた。この時点で、すでに大体の事情は推測出来る。
 竹内先輩、というのは美術部の部長さんだ。エリスちゃんから何度も何度も話を聞いているから、よく覚えている。お兄ちゃん、の次くらいに話に出てくる人だ。
 バイトで可愛い制服を着ていて、それを学校では秘密にしていたい。そんなところだろう。
 それにしても、まさか高校生だったとは。さすがに最上級生ではあるが、もう少し年上かと思っていた。
「父が、この喫茶店を経営していてね。木曜日と土日だけ、その手伝いをしているの」
「それで、木曜と土曜は早く帰っちゃうんですね」
「鳳仙さんには知られちゃったけど……。学校では秘密にしていてね」
「どうしてですか? 凄く綺麗で、可愛くて、似合ってるのに。コーヒーもこんなに美味しいし。私、皆に紹介しようと思ってたんですよ」
 あたしが竹内さんの正体についてまとめている間に、二人の話は進んでいた。
「私のイメージとも違うし。こういう服装はあまりしないから、少し照れくさいの」
「そんな、照れることなんてないです。きっと、誰でも見惚れちゃいますよ」
 途中から会話に入る前に、内容を少し聞いてからにしよう。そう思って黙っていると、何やらだんだんと押し問答のようになってくる。
 竹内さんが綺麗で、コーヒーも美味しくて、エリスちゃんは興奮し過ぎているようだった。対して竹内さんは、年長者らしく落ち着いていて、やんわりと断っている。しかし、そんな人の良さが裏目に出ることもある。
 エリスちゃんは頭の悪い子ではないけれど、前を見過ぎていると他の事が目に入らない傾向がある。芸術家としては間違った性質ではない、しかし時と場合によっては色々と問題を生むこともあった。
 当然ながら絵を描いている時が最も顕著で、今はそこまででは無さそうだが、それでも竹内さんにとっては迷惑だろう。そうと言えない理由はきっと、あたしと同じだ。基本的にエリスちゃんが良い子で、好きなのだ。なるべく自主的に諦めてもらいたい。同じことをあたしも何度か経験している。最初は色々と思うところもあったけれど――今は、少なくとも竹内さんよりは慣れているつもりだ。
「エリスちゃん」
 あたしが声をかけると、二人の会話がピタリと止まる。
 竹内さんが僅かながら期待するのは理解出来るが、エリスちゃんも同じ様な目線でこちらを見ていた。一緒に説得して欲しいのだろう。
 普段、どっちでもいいことならあたしはエリスちゃんの援護に回る。知らない人を口説いていたなら、今回もそうしていただろう。しかし、生憎とどちらもが大切な友人だった。
「少し興奮し過ぎだと思う」
 両方に味方したいと欲張ったあたしは、結局のところ自分の価値感に従うしかない。
 我が身に置換え、どう思うか。考えるまでも無かった。
「あたしの時みたいに、相手の言う事を押し退けて強引に、っていうのも間違いばかりじゃないけど。これについては……嫌なら黙っててあげて欲しいな」
 エリスちゃんは、あたしの言葉を真面目に受け取ってくれた様だった。しばらく考えたあとに言った。
「うん……そうだね。竹内先輩、すみません。失礼しました」
 エリスちゃんは素直に謝った。恐縮して小さくなっている。――基本的に素直で優しい性質の子なのだ、相手に迷惑と知ってまだ強行することなど特定の人間を除けば殆ど無い。その特定の人物に関しては、際限なくという感じだけど。
 竹内さんも怒りはしなかったが、それでもホッとしたようだった。
「それで、竹内――先輩?」
 あたしは、今後の呼び方を確認する意味も含めて言った。
「なにかしら?」
 どこか嬉しそうに聞き返してくる。きっと、本当は名乗りあいたいと思っていたのだろう。あたしも同じだった。
 お互いにそう思っていても、何となくそういう空気にならない、ということはある。それが知らぬ間に暗黙の了解となってしまうと尚更だった。
「自己紹介がまだでした。あたしはエリスちゃんの友達で、藤浪朋子です」
「朋子ちゃん、って呼んでください」
 隣でにこにこしながら、エリスちゃんが言った。
「ちょ、ちょっとエリスちゃん! 何を言い出すの。あたしはそんな……」
「あら、いいじゃない。私もその方がいいわ。よろしくね、朋子ちゃん」
 あたしが慌てて訂正しようとすると、竹内先輩が楽しげに言った。
「私のことも、名前で呼んでくれていいのよ。もちろん鳳仙さんもね」
「本当ですか? わあ、嬉しいな! それじゃあ、その……麻巳先輩!」
「なあに? エリスちゃん」
「えへへ。これからも、よろしくお願いします」
 あたしのことを置いてきぼりにして、二人はどんどん盛り上がっていく。
 付いて行けずに呆然としていたあたしだったが、唐突に二人は申し合わせたように黙り込んで、あたしをジッと見つめてきた。
「な、なに?」
 尋ねても、誰も何も言わない。
 いや、あたしも本当は分かっている。このあからさま過ぎる空気、読めないはずがない。ただ否定したいだけだった。
 年上の人を名前で呼ぶなんて……。私の基準では、名前で呼ぶのは対等な相手ということになっている。年齢もそうだけど、彼女は中身もあたしより確実に年上の風格を持っていた。
 そりゃ、可奈先輩は名前呼んでるけど、見た目も少しは重視されるべきだと思う。
「やっぱり嫌かしら?」
 残念そうに、竹内さんが言ってくる。――ああもう。
「麻巳……先輩?」
 観念して、あたしがもじもじしながら言うと、麻巳先輩とエリスちゃんは元気良くハイタッチした。――こんなノリの良い人だったの? あらゆる意味で騙された。
「なんかもう……」
 疲れたように呟くあたしに、
「これはいいことなんだよ、朋子ちゃん」
 エリスちゃんが笑顔で言ってくる。あんまり明るく言うものだから、あたしも釣られて笑ってしまった。
「そう、だよね。うん、嬉しい。これからもよろしくお願いします、麻巳先輩」
「こちらこそ、よろしくね。朋子ちゃん」
 優しげに微笑む麻巳先輩は、何がそんなに、と思うほど嬉しそうに見えた。






  ――――発展編――――


 あれから数日が経ち、当然のように可奈先輩を連れて喫茶店『やどりぎ』へと向かうあたしとエリスちゃん。
 学校では秘密にしておくけれど、あくまでもそれは学校の中での話。ここに来る途中に出会っただけの可奈先輩は例外なのだ。――たとえ待ち合わせていても、出会ったのが来る途中なので、どこも間違ってはいない。
 ちなみに、発案者はエリスちゃんではなくあたしだ。前回やりこめられたので、ささやかな反撃のつもりだった。
 可奈先輩は騒がしい人だけど、ああ見えて、あたしたち三人の中では一番大人だ――ったりする面もあったりなかったり。少なくとも、ああいう場所で騒ぎ出すような、見た目どおりの子供ではない。
 初めてのお店でも、あたしたちの影に隠れて入店するほど、可奈先輩は大人しい人ではなかった。目的地も告げられずに連れて来られ、その目的地が分かると駆け足になり、一番に飛び込んだ。
「いらっしゃいま……すぇっ!?」
 いきなり現れた知り合いの顔に、麻巳先輩は素っ頓狂な声を上げた。
 二人が、上倉先生を通して知り合いだということを、あたしはエリスちゃんから聞いていた。驚くのも無理は無い。
 可奈先輩は、冷や汗交じりの笑顔で何とか誤魔化そうとしている麻巳先輩を不思議そうに眺めている。が、それもせいぜい三秒程度だった。
「あ~! 部長さん!? なんで!?」
 さすがは可奈先輩、ほんの数秒で見抜くとは。エリスちゃんでももう少しかかったのに。
「それはこっちの台詞よ」
 泣き出しそうな顔で項垂れるメイドさんは、そこでようやくあたしとエリスちゃんの存在に気付くと、瞬時に立ち直って笑顔で言った。
「二人とも、いらっしゃい。……もしかして」
「すみません。可奈先輩だけは、許してください。あたしとエリスちゃんだけで、ここに来続ける訳にはいかないんです」
 視線で尋ねてくる麻巳先輩に、あたしはそう答えた。
「大丈夫ですよ、こう見えて信頼出来る人ですから」
 エリスちゃんが言うと、可奈先輩は途端に膨れっ面になった。
「こう見えるって、どう見えるってゆーの? エリスちゃん、酷いよー」
「あはは。そういう意味じゃなくて……。ほら、可愛らしいじゃないですか」
「どこも否定してないし」
「むーっ」
 あたしが呆れながら言うと、可奈先輩はますます怒ってしまった。
「まあまあ。とにかく席に案内するから、ね? ここは私の顔に免じて」
 店の入り口で騒がれては困るのだろう。麻巳先輩が、慣れた感じで仲裁に入った。
 不服そうにしながらも可奈先輩は矛を収める。――この二人、結構ちゃんとした知り合いなのね。顔見知り程度に聞いてたけど。
 その後、あたしたちは窓際のテーブル席に案内され、それぞれコーヒーだけを頼んだ。そんなに贅沢出来るほど、高校生の財布は重くないのである。

「わあ。美味しい……」
 麻巳先輩が運んできたコーヒーを一口飲んで、可奈先輩は幸せに浸りながら呆けてしまった。
「可奈先輩、コーヒー飲めるんですね」
 あたしがふと尋ねてみると、
「そういえば、飲み物といえばいつもジュース系ばかりですよね」
 エリスちゃんが続けて言った。可奈先輩は、また子供扱いされたと思ったのか不満そうな顔をしている。
「いいの。何でも美味しいものは美味しいんだから」
「否定しないところを見ると、普段はあまり飲まないんですね」
 あたしがそう言うと、可奈先輩は表情を曇らせた。
「……飲めないというより、なんというか。あんまり良い思い出が無いから、普段は飲みたくないんだよね」
「なるほど。忘れがちですけど、可奈先輩って小説家でしたっけ」
 締め切りが近づけば、嫌でも飲まされるというわけか。あの編集さん、何と言ったか――。厳しそうな人だし、それくらいはやりそうだ。
「忘れがちって、朋ちゃんは私のことどう思ってるの?」
「もちろん、尊敬するプロの小説家。先生、って呼ばせてもらえるならそうしますけど」
「それは駄目! 絶対に駄目! ……代わりに『可奈ちゃん』って呼んでくれてもいいよ」
「それは遠慮しておきます」
 あたしは冷たく断った。
「ちぇーっ」
 可奈先輩は分かりやす過ぎるくらい残念そうにしているが、これもいつものやり取りである。
 ――今でも結構頑張って呼んでるのだ。まだまだ、そんな呼び方が出来るほどには、あたしは変われてない。
「朋ちゃんのケチー。じゃあ代わりと言ったら変だけど、部長さん。麻巳ちゃんって呼んでいい?」
「ええ、もちろん構わないけど」
 唐突に声が聞こえて驚いた私が視線を転じると、先ほどコーヒーを出して下がっていった麻巳先輩が、いつの間にかすぐそこにトレイを持って立っていた。
「じゃあ、私のことは……」
「可奈ちゃん、これからもよろしくね」
「うん!」
 先回りして言った麻巳先輩の言葉に、満面の笑みで答える可奈先輩。無邪気そのものの笑顔は、まるで子供のそれだ。
 ――本当に可愛いなあ、この人は。なんで高校生やってるんだろう。勿体無い。
「それじゃ、お近づきの印に」
 そう言って、麻巳先輩はあたしたちにショートケーキを配った。
 無趣味の誤魔化しとは違う本物の『趣味・読書』な人のあたしは、文字を読むのが他人よりずっと早いし、記憶力にも自信が有る。なので、メニューの殆どは既に頭に入っていて、もちろんそのケーキが安くもないことは分かっていた。
「あの。せっかくですけど……」
 私が遠慮しようとすると、
「大丈夫だよー、朋ちゃん。会話の流れからして、ここは」
「おごりですよね、麻巳先輩?」
 可奈先輩の後を継いで言ったエリスちゃんの言葉に、麻巳先輩は頷いた。
「そんなに高価な材料を使うわけじゃないけど、美味しいわよ。母が作ってるの」
 私はもちろんおごりだと思って、だからこそ遠慮しようとしたんだけど――。エリスちゃんも可奈先輩も、躊躇なく食べ始めていた。ここは遠慮すべきではないかも知れない。
 思いなおして、あたしも早速一口食べてみた。
 お店の料理を作っているなら、資格も当然持っているのだろう。つまりプロなわけだが、それでもメインは軽食程度のはずだ。当然ながらパティシエというわけでもない。なのに、このケーキは大きな洋菓子チェーン店などよりはずっと美味しかった。
「わあ、何でも美味しいんですね、このお店って」
「うんうん。また来ようね。何度でも」
 エリスちゃんと可奈先輩も、美味しそうにケーキを食べている。
 あたしとしては、もっと甘くてもいいのに、と思わないでもない。しかし、その代わりに後味が良くて、生クリームにしつこさを全く感じない。これなら男性にも好まれる。あくまでコーヒーがメインのお店だから男性客も多いはずで、そんな客層を考えれば、この方が合うのだろうか。
 その後、麻巳先輩はお仕事でテーブルから離れる。あたしたちは静かに談笑しながら、ケーキとコーヒーと、店内の雰囲気なども楽しんでいた。

「相席、いいかしら」
 麻巳先輩が言って来たのは、それから数分後のことだった。
「せっかくだから、私の友人を紹介しようと思って」
 麻巳先輩の隣に立っていたのは、全く癖の無い綺麗な黒髪を長く伸ばした、絶世の、と付け加えるのに十分すぎる美人さんだった。
「もしかして、美咲先輩!?」
 エリスちゃんが驚いている。あたしも、どこかで聞いた気がした。
「撫子の歌姫、って言われてるんだよ」
 可奈先輩が、横から小声で教えてくれた。なるほど、綺麗なのは外見だけでは無いらしい。確かに聞き覚えの有る二つ名だった。
「あの、よろしいでしょうか?」
 そこで初めて喋った美咲先輩の声に、あたしの心は揺さぶられた。
 透き通るような澄んだ声。鍛え上げられた心肺機能が可能とする驚くほど豊かな声量は、静かに喋っていてなおよく通った。巷に溢れる自称『天才』なんて裸足で逃げ出すほどの才能は、少し喋っただけでも素人のあたしにすらよく分かる。
「もちろんいいよー。大歓迎しちゃうけど、一つだけ条件があるの」
「なんでしょう?」
 楽しそうに言う可奈先輩に、美咲先輩が恐々と聞き返す。
 彼女の感情は、度が過ぎるほどに声を通して伝わってきた。歌い手としては大したものだが、これでは日常的には苦労する場面もあるかも知れない。少しだけ心配になった。
「ここに席が一つ空いてるけど、ここに座るには――全員をちゃん付けで呼ばないといけないのでーす!」
 盛り上がってる可奈先輩は、少し声が大きすぎだった。やんわりと嗜める麻巳先輩に、可奈先輩は照れたように謝る。
「いつ決まったのかしら」
「今だよ、きっと」
 小声で尋ねたあたしに、エリスちゃんが同じく小声で答えた。向こうのやり取りを受けて、あたし達までひそひそ声で喋ってしまう。
「別にいいのよ、菫さん。どうせ半ば冗談なんだから」
 もう半分は本気なのか。多分そうだろうけど。出来て嬉しいことはまずやってみる、駄目でもまあいいじゃない、というのが可奈先輩の性分なのだった。
「でも、せっかくですから。……可奈ちゃん、よろしくお願いします」
 少しはにかみながら発せられたのは、美しすぎるソプラノボイスだった。自分に向けられたものではないのに、あたしまでドキッとした。
「はぅっ」
 丁寧に頭を下げながら言った美咲先輩の声は、可奈先輩の心を正確に射抜いたようだった。弾かれるように椅子の背もたれに埋まりながら、可奈先輩は夢見心地のまま頬を火照らせている。瞳にはハートが浮かんでいた。
 その様子を見て、エリスちゃんまでおねだりを始める。状況に戸惑いながらも、美咲先輩は言われた通りにその名を呼んでみせた。
「エリスちゃん」
「はうぅっ!」
 可奈先輩と同じように、背もたれに埋まりながら呆けてしまうエリスちゃん。――あたしは二人の様子を眺めながら、歌声で船乗りを惑わすという妖魔セイレーンが実在したならこんな感じなのだろうか、と意味の無いことを考えていた。
「残り一人ね。頑張って」
「はい」
 麻巳先輩の応援に、美咲先輩は素直に答えた――って、
「あ、あたしはいいです」
 標的が自分だということに気付き、焦って拒絶するあたし。しかし、今日は出会った時に少しだけからかってしまった麻巳先輩には、容赦してくれる気配が無かった。
「この子はね、思ってるのと逆のことを言ってしまうことがあるの。だから気にせず、朋子ちゃんって呼んであげてね」
 明らかに作った笑顔で、麻巳先輩は言った。――目が笑ってる、この人絶対分かってる、面白がってる!
「確かにそんな事もあるけど、でも今は本気で……」
「それでは、その……朋子ちゃん」
 ああ。なんて幸せなんだろう。――あたしは見事に意識を飛ばされながら、直前の言動とは全く逆のことを思っていた。






  ――――完結編――――


「アルバイト?」
 考えた事もない話だったので、あたしは思わず問い返してしまった。
 ある日。いつものように『やどりぎ』に集まった、先日仲良くなったばかりの菫先輩を加えたあたしたち四人は、麻巳先輩から『お店を手伝ってみないか』と持ちかけられていた。
「私はどうかと思うんだけど、両親とも乗り気で。一日だけだから、何かのイベントとでも思って……どうかしら?」
 いつもハッキリとものを言う麻巳先輩にしては、やけに歯切れが悪かった。
 基本的には生真面目な人なので、悪ふざけが大好きな両親には普段から苦労しているらしい。今回も、また面倒な事を言い出したものだと思っているのだろう。
「いいよ。ちょっとだけ興味もあるし」
「私も。お兄ちゃんたら過保護過ぎるから、アルバイトとかさせてくれないの。ここでなら安心だし、こっちからお願いしたいくらい」
 可奈先輩とエリスちゃんは乗り気のようだった。
 特にエリスちゃんは、秘密でバイトをして兄を心配させることは出来ない子だ。何だかんだと言いつつも、了解が得られるまで説得を続けるだろう。ただし、ここでなら秘密でやっても、麻巳先輩が居るからバレた時にも心配はされない。最悪でも、少し怒られる程度で済むはずだ。
「菫さんも、いつもは断ってるけど。みんなと一緒ならどうかしら?」
「そうですね。一日だけですし、そういうことなら……」
「朋子ちゃんはどう?」
 麻巳先輩に聞かれて、あたしは迷った。
 皆の盛り上がった空気に水を差すことはしたくない。それに、皆と一緒に何かをする、というのは楽しい。概ね参加する気ではあるけれど、一つだけ気になることがあった。
「あの、お仕事というのは、やっぱりそのメイド服を着るんでしょうか……?」
 確かに可愛い服だけれど、何かのコスプレみたいなそれを着ている自分を想像すると、どうも頷きたくない気分になる。
「ウェイトレスです!」
 麻巳先輩はお約束の訂正を入れ、わざとらしく咳払いを一つしてから続けた。
「もちろんそうよ。これは私の母が作ってくれてるの。菫さんのは、いつの間にか作ってるから……。三人分ね。もう作る気でいるから、遠慮はしなくていいわよ」
 きっと遠慮じゃないのは分かっているんだろう。――最初の印象と随分違う。もう少し固い人だと思ったけど、実際は色々な意味で要領の良い人だった。
 ここで断ることは出来る。しかし、そうすれば他の皆でやるだけだ。今はやりたくないと思っているあたしは、しかし後でやりたくなることも分かっていた。可奈先輩とエリスちゃんが一緒になってやっていることが、あたしに面白く見えないわけがないのだ。
「分かりました。やります」
 よく考えた上で、あたしはそう答えた。
 麻巳先輩は満足そうに頷いた。

 あれから一週間が経ち、いよいよあたしたちが店に立つ日がやってきた。
 四人がそれぞれに服を着替えて店に出ると、カウンター席に座る常連さんが楽しそうに言った。
「今日は華やかだねぇ、親父さん」
「おうよ。今日は無礼講だ、騒いでも構わんぞ。タップリとご奉仕……」
 パカン! ――と、店内に景気のいい音が響いた。麻巳先輩が、父親であるマスターの頭をトレイで叩いたのだった。
「接客です! ……お父さん、今日は私だけじゃないんだから。あんまり変なこと言わないで」
「むぅ。いいじゃないか、ぶれいこ……」
 人も殺せそうな眼光で睨まれ、マスターはアッサリと黙ってしまう。父親の威厳、店長の威厳、共に全く見えなかった。
「ねーねー朋ちゃん、似合う? 似合う?」
 初めて着たメイド――もといウェイトレスの制服に、可奈先輩は有頂天になっていた。はしゃいで聞いてくる彼女に、あたしは微妙に言葉を選ばざるを得ない。
「ええ。とっても……えっと、可愛い、ですよ」
 可奈先輩は確かに可愛かった。ただし、ジャンルが大胆に間違っている。
 フリルを大幅に増量された結果、ウェイトレスどころかメイドにすら見えない。作り手の趣味が丸出しだ。可愛い女の子に可愛い服を着せたい、という欲求が暴走し過ぎた故の仕上がりだった。
 何にしろ働いている人には見えず、フリルに埋もれた可奈先輩は文句なしに可愛いけれど、あたしが抱いた感想を詳細に語ると彼女はきっと不機嫌になってしまうだろう。ここは黙っているに限る。
 あたしのへたくそな誤魔化しは、それでも可奈先輩のお気に召したようだった。
「えへへ~」
 くるくると回りながら笑顔を振りまく彼女に、お客さんも頬を緩ませる。これはこれで成功と言えるのだろう。
 視線を転じてみると、エリスちゃんと菫先輩がお互いの装いを褒め合っていた。テレビの中でしか見られないような人と比べても、なお勝る美貌の持ち主二人である。この場合、お世辞の言い合いにもなりかねないところなのに、誰がどう見ても実際に褒めるところだらけだった。着慣れた麻巳先輩にも負けないくらいに似合っている。
 ちなみに、全員胸元のリボンが色違いになっていて、ちょっとしたアクセントになっていた。麻巳先輩は元々付けていた濃い紫色、エリスちゃんは明るい青、菫先輩は純白、フリルに埋もれて殆ど見えないけれど可奈先輩は黄色のリボンを、それぞれつけている。
 ところで、茶色のリボンを付けているあたしは、他人の目から見てどうなのだろう。何となく怖かったので、着替えた時にも鏡は見ていない。
「さあ、お仕事を始めましょうか。今日は裏方に回るから、分からないことがあったら何でも聞いてね」
 麻巳先輩の一言で、騒がしい一日が始まるのだった。

 仕事が始まって数時間が経ち。とりあえず仕事の基本くらいは見えてきた頃。
「いらっしゃいま……って」
 来店したお客様を案内しに行ったエリスちゃんが、驚いて固まっている。何があったのかと気になったのか、手の空いていた可奈先輩と菫先輩もエリスちゃんのところに集まった。
「なんだ、エリスじゃないか。萩野に美咲も……。お前等、揃ってこんなところで何をしてるんだ?」
「お兄ちゃんこそ、霧さんと二人で何してるの」
 エリスちゃんは問い詰める気満々だったけれど、当の桔梗先生は落ち着いたものだった。
「二人じゃないでしょ、エリスちゃん。よく見て。――理事長代理の鷺ノ宮紗綾さん。仕事の打ち合わせでここに来たのよ。コーヒーでも飲みながら、ってことになってね」
 言われて初めて気付いたらしいエリスちゃんは、理事長代理に向かってペコペコと頭を下げる。
「すみません、別に気付いてなかったわけじゃないんですけど。ちょっと気になる事が気になりすぎてて」
「気になさらないで。私は気にしてませんから」
 随分、温和な人らしい。かなりな立場なのに、失礼があったエリスちゃんに優しく微笑みかけている。
 机を拭いていたあたしは、やっと手が空いたので自分もエリスちゃんの所に行こうかと思った。そこで、誰かに袖を引っ張られる。お客さんかと思って振り向いたら、犯人は麻巳先輩だった。
「あと、お願いね」
 こそこそと、あたしの影に隠れるようにして言う麻巳先輩は、普段の大人びた感じが完全に消え失せていた。
「ああ……。そういえば秘密でしたね。分かりました、任せてください」
 今日は色々と失敗もして、迷惑をかけてしまった。ここは頼りになるところを見せたいと、あたしはそう思ったのだが。
「だから心配なんて無いの。麻巳先輩の実家なんだから!」
 遠くで、エリスちゃんの声が聞こえてきた。上倉先生との押し問答の結果、飛び出した言葉なのだろう。それにしても――
「……あの、まだ任される必要あります、あたし?」
 もはや自分に課せられた使命は意味を成さなくなり、何となく後ろめたい気持ちになりながら聞いてみると、
「もういいわ……」
 麻巳先輩は疲れたように言って、床に崩れ落ちるのだった。

 テーブル席に案内された教師二人と理事長代理の前に、五人のメイドが並ばされる。
 なんでこんな事に――と溜息をついているのはあたしだけではなかった。麻巳先輩は露骨に抜けたそうな顔をしているし、美咲先輩も微妙な表情をしていた。二人とも騒がしいタイプではないし、あまり目立つ行為が好きではないだろう。
「それではこれより、第一回上倉浩樹杯を開催しちゃいま~っす!」
 もはや『メイド』を訂正する元気も無いのか、麻巳先輩はただただ目立たない事だけを祈るように黙っていた。
 そんな中で、もちろん発案者であり司会者でもある可奈先輩は元気一杯だ。隣で助手を務めるエリスちゃんも、見世物になるという意識はあまり無さそう。祭だ祭だ、という感じで騒ぎを楽しんでいるだけに見える。
「どーでもいいが、何で俺がこんな目に」
「どーでもいいからでしょ」
 冷徹に切り捨てたあたしを恨めしそうに見やりながらも、審査委員長たる上倉浩樹先生はそれ以上何も言わなかった。諦めることで、何とか自分を保っているのだろう。
 ――ちなみに、彼は椅子に縛り付けられていた。両脇を理事長代理と桔梗先生、綺麗どころに挟まれて両手に花である。羨ましい、あたしも向こう側に行きたい。
「それではとっとと審査に行っちゃいま~す。アピールタイムも欲しいけど、マスターが『十分だけな』って行ったので仕方ないのです。私のせいじゃないので、苦情は向こうにお願いしま~す」
 お客さんがケチーだのハゲーだの言っている。マスターは聞こえぬフリでにこにこしていた。罵声を浴びているのに、楽しんでいる様にしか見えない。
「それでは先生。この五人の中で誰が一番似合ってるか、発表してください!」
 可奈先輩の一言で、店中の視線が上倉先生に集まった。彼は困ったようにあたし達五人を見回し、何度も溜息をついてから、悩んだ末に言った。
「そうだな――」
「あ、すみません。私は辞退しますね」
 先生が言いかけたその瞬間、被せる様にして麻巳先輩が言った。
「へ? なんで?」
 可奈先輩が呆けている。
「私だけ着慣れてるから。差が有るというより、先生がそれを逃げ口上にしてしまうでしょ」
 ――逃げ口上はどっちだ。しかし、これではどちらにしろ、先生は彼女を選ぶわけにはいかないだろう。見事だった。
「そういうことなら仕方ない、かなぁ」
 ノリのいいお客さんがぶーぶー言っている。長年看板娘をやっているのだから、彼女のファンは少なくないだろう。
「では、麻巳ちゃんを除いた四人の中で誰が一番綺麗か、ということで。――どうぞ!」
 可奈先輩が促すと、上倉先生が先ほどと同じように、四人に減ったあたしたちを端から順番に見ていく。
 不本意ではあっても、縛られているので逃げられない。早く終わらせて開放されたい、というのが本音だろう。
 ふと見やると、エリスちゃんがしきりに髪やら服装やらをチェックしていた。――なるほど、乗り気だった理由はこれか。自分がお兄ちゃんに選ばれる、という結果を信じて疑わないのだろう。実際、その可能性は低くない。
「そうだな。――残った四人では、藤浪が一番似合うと思うぞ」
 先生の言葉に、店内がどよめいた。
 本人が言った通りに着慣れている麻巳先輩を除けば、誰が見てもエリスちゃんか菫先輩か、その二択のはずなのだった。可奈先輩も十分以上に似合ってるけど、どこかテーマからは外れた可愛さだし、あたしに至っては元々の容姿が彼女らには大きく劣る。自分は十分可愛いと思ってるけど、あの二人は別格なのだ。次元が違うのだ。まず比較すること自体が成立しないのに、この男は何を言っているのか。
「――理由を言わないと、納得しないわよ」
 勝利者であるはずなのに、あたしは不機嫌も露に言った。
「なんでお前から言われるのか理解出来んのだが」
「本気だとは思えない」
 言われて、先生は真面目な顔で考え込む。静寂が一分ほど続いた後、彼は言った。
「萩野は騒がしいからな。確かに可愛くはあるが、メイドっぽくはないだろ。エリスもご同様だ。美咲は、雰囲気が致命的に合わない。使われる側より、使う側というか」
「そもそもメイドじゃないんですけど」
 麻巳先輩が不機嫌そうに言った。あまりの眼光の鋭さに、先生のみならず周りの皆まで息を呑む。先ほどはスルーした言葉だが、既に審査される側から開放されたので、余裕が出てきたのだろう。
「待て待て竹内! そうじゃない、あくまで見た目がメイドっぽいから、それに合う条件はということでだな」
 必死で誤魔化そうとする彼の発言は、しかし駄目押しにしかなっていなかった。
 麻巳先輩が続けて何かを言おうとした時、店の扉が開いて誰かが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 さすがは年季が違う。瞬時に反応し、入り口まで素早く移動して笑顔で迎える麻巳先輩。しかしそのお客さんは、麻巳先輩には目もくれずに、床を盛大に踏み鳴らしながらこちらに向かってきた。
「やっと見つけた」
「紫衣さん!?」
 声をかけられた可奈先輩は飛び上がった。あたしとエリスちゃんにとっても、知った顔だった。可奈先輩の担当編集者で、名前は確かに紫衣さん。苗字は――ええと。
 あたしが考え込んでいる間にも、彼女は物凄い剣幕で捲し立てていた。
「先生、ホテルを抜け出して何をしているんですか」
「だ、だってその。こういう息抜き――じゃなくて取材も、創作活動には必要なんだよ」
「そういうのは時間に余裕を作ってやるものです! ――プロなんですから、ご奉仕するならお客様ではなく読者様にしてください」
 紫衣さんは相当ご立腹の様子だった。手を引いていくどころか可奈先輩を持ち上げ、小脇に抱えてしまう。逃がさないという決意の現われだが、小柄とはいえ人一人軽々と持ち上げるほど筋肉質には到底見えない。彼女にとっては、今が火事場に相当するのだろうか。
 下着が見えてしまうかと心配したが、背丈の都合かミニになっていた可奈先輩のスカートだけは、そうはならないように作られているらしい。特に問題は無い様だった。麻巳先輩のお母さん、本当に凄いな。
 あたしがどうでもいいことで関心している間に、可奈先輩を担いだ紫衣さんは嵐の様に去っていった。
「ごめんねー。そういうことだから、またねー」
 強制連行の割には楽しげな可奈先輩の声が遠ざかっていく。
 ――締め切りが押しているというより、伸ばしてもらっている状態かも知れない。回りに挨拶の一つもしない、なんてあの人らしくないし。周りが見えないくらいに焦っているのだろう。
 可奈先輩も十分なガス抜きが出来ただろうし、順調に執筆が進むことを切に願う。
「さあ、もう十分に騒いだだろ。お客さんにも迷惑だからな。ここまでだ、通常営業に戻るぞ」
 マスターが何事も無かった様に言うと、皆それに従った。
 お客さんも席に戻り、あたしたちもウェイトレスの業務に戻る。しかし、あたしは仕事に戻る前に、理事長代理と桔梗先生に縄を外してもらっている上倉先生に話しかけた。
「あの、さ……」
「ん? なんだ藤波。悪いが俺はもう無茶を聞く元気は無いぞ」
「そうじゃなくて。その……ありがと」
「なにがだ?」
「な、なんでもいいの! ……いいから、言葉だけでも有難く受け取っておきなさいよ」
「ああ、分かった。何だか知らんが了解だ」
 本当に疲れているのだろう。いつもは捻くれた反応でからかうところなのに、彼は素直に従った。
 ――先ほどはああ言っていたものの、彼が特別な理由も無く、何となくであたしを選んだことは分かっていた。それはつまり、少なくとも彼の目を通して見た藤浪朋子は、エリスちゃんや菫先輩とも比べられるくらいには魅力的に映ったということ。先ほどは有耶無耶になってしまったが、少しだけ嬉しかったのは確かだった。
「さて、あたしも頑張ってご奉仕しましょうか」
「だからウェイトレスだっていうのに」
 いつの間にかすぐ傍に来ていた麻巳先輩が言った。
「大丈夫? 疲れてない?」
 彼女は、続けてそう聞いてくる。――あたしの身体は、あんまり強くない。それで心配しているのだろう。しかし、同情というよりは確認という感じだった。こういった気遣いに慣れている人なのだろう、内容の割に何気ない口調だ。
 そんな自然な彼女だったのもあるかも知れない。昔の自分ならここで食って掛かるところだけど、今は身近な人の小さな気遣いを、しっかりと受け止めることが出来た。
「むしろ元気になりました」
 笑顔で返したあたしに、
「そう。良かった」
 彼女もまた、笑顔を返してくれた。

 この日以降も、喫茶店『やどりぎ』にはいつものメンバーが週に一度は集まり、楽しい日々は更に広がっていく。ほんの数ヶ月前までは一人ぼっちだった自分。その頃の記憶を忘れるわけじゃないけれど、当時の孤独な感覚を、正しく思い出すことはもう出来そうに無かった。
 今は疲れるくらい騒がしい毎日、けれどそこにある幸せを、ただ素直に嬉しいと感じている。
 もうすぐ卒業してしまう先輩方も、こうして集まる場所があれば、また頻繁に会うことも出来るだろう。生活サイクルが変われば、言うほど簡単ではないかも知れない。けれど、会いたければ会う努力をすればいいだけだ。昔のあたしは、そういった努力もせずに自分は孤独だと決め付けて、世界のせいにして逃げていただけだと今なら分かる。理解してもらえず、理解してもらいたいなら、その努力をすればいいだけだったのに。
 幸せは歩いてこない。誰かがそう言っていた。けれど、幸せとは逆方向に歩いていたあたしすらも彼女たちは追いかけて、追いついて、そして幸せの渦に巻き込んでくれた。いくら感謝しても足りないくらいだ。
 こんな毎日がいつまでも続けばいい。心のそこからそう思うから。それを守るためなら、今のあたしはどんな苦労でも受けて立つだろう。
 全てに諦めていた昔のあたしは、もうどこにも居ない。


――完――






























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テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  1. 2007/03/15(木) 18:49:31|
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