私は休日を利用して、デパート内にある眼鏡ショップに来ていた。
店員さんに薦められながら、様々なデザインの眼鏡を試着してみては鏡に向かう。しかし、試した眼鏡はどれも悪くは無いのだけれども、どうもピンと来ない。
「これなんかどうですか?」
自分なりにあれこれ試していると、別の店員さんから眼鏡を差し出された。私は確認もせずに受け取り、その眼鏡を無造作に装着する。
鏡に映った自分を見て、自然と表情が引きつった。さらに、背後に映った店員さん――でもなんでもない男の顔を見て、何とも情けない顔になってしまう。
また何をやっているんだろう、この人は。
肩を落とし、力なく息を吐く私を見ても、彼は平然と言ってのけた。
「とてもお似合いですよ、お客様」
「……そうですか。そうなんですかっ。そう見えますかっっ。そんな風に見ていたんですね、私のことっ!」
鏡に映っているのは、顔の輪郭から大きくはみ出す尖ったデザインの、真っ赤な眼鏡を着けた自分だった。これで語尾に『ザマス』などと付けた日には、立派なオバサマの誕生である。
怒りに肩を震わせる私に、肩を竦めながら店員――もとい、美術部顧問の上倉先生は言った。
「冗談だよ。全く全然なんにも似合う要素は無いな」
「似合うと言われても困りますけど。かといって、そういう言い方をされるのも気に入りませんね」
「じゃあ似合ってる」
「……しまいには殴りますよ」
「似合ってない」
「…………」
「じゃあ似合ってる?」
「い・い・か・げ・ん・に・し・て・く・だ・さ・い!」
声を抑えて怒鳴り――ここ半年で覚えた技能である。我ながら器用だとは思う――詰め寄ると、先生は降参というように諸手を上げた。
「まあしかし、部長の百面相はなかなか見ごたえがあったな」
「学外でまでその呼び方はやめてください」
怒気を込めての言葉も、少しも教育者には見えない教師の耳には全く届いていないようだった。まだ思い出しながら楽しそうに笑っている。
眼鏡をかけてすまし顔でいても、似合うかどうかは分からない。鏡の前で表情を作ってみるのはいつものことだけど、覗き見られて気分のいい光景ではなかった。
「あまり褒められた趣味じゃないですね。教師以前に人間として、どうかと思いますよ」
私は人差し指を振り回しながらお説教を始める。
日頃の行いの悪いこの人を相手にすると、私の口はいくらでも文句を製造し続けるのだった。それこそ世界の工場と言われる中国も真っ青の生産能力である。
ザマスな眼鏡のお陰で迫力も普段より何割かは増しているようで、先生はいつものお説教時よりもずっと腰が引けている。やけに素直に謝ってきた。
「PTAに文句言われてるみたいで怖いぞ。そう苛めてくれるな。悪かった。まあ正直に出てきたんだから今日のところは勘弁してくれ。
ところで、今日は一人でどうしたんだ?」
いつまでも怒っていたところで、この人はただ逃げ出すだけだ。せっかくのショッピング、あまり気分が悪いままでも面白くない。
私は試着していた眼鏡を外し、本物の店員さんに返すと、一時的に自分の眼鏡にかけなおす。そうして気分を少しは落ち着かせてから言った。
「この前のアレで、眼鏡が壊れたじゃないですか。それはもう直ったんですけど、予備の眼鏡は必要かと思ったんです。
それで今日は菫さんと約束していたんですけど、今朝ドタキャンされてしまって。
先生こそどうしたんですか? デパートでお買い物って柄でも無いと思いますけど」
「俺はエリスの付き添いだよ。向こうで服を選んでる」
「ついてなくていいんですか?」
「女の子のショッピングなんぞに付き合ってられるか。
ちょうどいい口実が見つかったから逃げてきた」
などと、軽く私を指差しながら言う。
「歩いてるのを見かけたんでな。一度見失ったけど、眼鏡屋を見つけて覗いてみたらビンゴだ」
誇らしげに言うが、この人は後の事を考えたりはしないのだろうか。いや聞くまでもないけれど。こちらにまで迷惑がかかる可能性があるというのに、考え無しに人をダシに使わないでほしい。
もちろん自業自得なこの男を心配するわけでもなく、ただ呆れ果てて私は言った。
「後でどうなっても知りませんよ」
「エリスの奴には、後でクレープでも奢ってやるさ。それで十分だろ。
なんだ竹内、不満そうだがお前も欲しいのか?」
「違います! ――そういう意味じゃなくて。ああもう、本気で分かってないし」
「何の話だ?」
頭を抱えている私をよそに、疑問しかないって顔で先生は言った。
まったくこの朴念仁は。こんな調子のまま天然ジゴロをやるのだから恐れ入る。桔梗先生や鳳仙さんの苦労が痛いほど分かった。
「もういいです」
これ以上相手にしてはいられない、と突き放すように私は言った。
今日は学校で身に着ける眼鏡を買うためここに居る。だから私は、服装以外は学校と同じ風体だけれど、普段は髪を下ろして眼鏡も外し、人並みにお洒落にも気を使った格好をしているのだ。
普段どおりの私服姿ならば、この人は町でぶつかっても絶対に気づかない。かなりの自信をもって断言出来る。
「そろそろエリスの様子でも見に戻るか。邪魔したな」
「頑張ってくださいね。多分ですけど」
「だから何の話だ?」
「いえいえ、なんでもないです。なんでもないといいですね」
殆どの知人には秘密の、使い慣れた営業スマイルを駆使して、私はにこやかに言った。怖気を感じて変な顔をしている先生だが、もちろん説明責任など無い。
大好きな兄が他の女性のところに行き、自分は放置。この状況、鳳仙さんが後で知ったら絶対に怒るだろう。下手したら暴れる。
あの子が怒る時は兄にばかり不満が集中するので、こちらにまで飛び火することは殆どないが、絶対でもない。お怒りが小規模なもので済むことを祈るばかりだ。
「じゃあ俺はそろそろ行くぞ。そっちこそ頑張っていいの探せよ~」
先生は十分に口実は出来たとばかりに、さっさと店を出ようとする。
はたして、このまま行かせていいものか。迷った末に決心すると、私は先生の腕を掴んで引き止めた。
「……まだ何か用なのか?」
「学校で使う眼鏡だから、是非とも普段の私を知っている人の意見も聞きたかったんですよね」
何気ない調子で言ってみた。
「選ぶの、手伝ってくれてもいいんですよ?」
「いやしかし」
逃げた先でまた付き合わされては同じではないか――などと言われる前に、私は言った。
「いいですよ別に。鳳仙さんにまた拗ねられるだけですけど」
「意味が分からん。部長に付き合うとなにか変わるのか?」
「だから校外でまでそんな呼び方しないでください。
……もし手伝ってくださるなら、私も言い訳を手伝うくらいはしますよ」
この人のことだから、適当かつ素直に話すに決まっている。その内容によっては火の粉が飛んでくるのだから、断じて見過ごすわけにはいかない。
こちらは全くの善意で言っているというのに、そんな気持ちに鈍感な先生が気づくはずもなく、まだ逃げ出そうとしている。
私も一応年頃の女の子なのだから、ちょっぴりデート風味とでも思って喜んでもいいと思うんですけど。
「嫌だと言ったら?」
「先生の真実の姿というものを、鳳仙さんにも知っておく権利があると思うんですよね」
本気で嫌そうにしている先生に、複雑な心境から多少語気を強めて私は言った。
とはいえ、デマは良くない。あくまで伝えるのは真実のみ。
そもそも脅しになるほどのことはあまり知らないし、知ってても言いふらしたりするつもりも無い。当たり障りのないことを日常のお喋りに加える程度。要するにはただのハッタリ。
やましい事が無ければ何でもないはずなのに、しかし先生はしばらく逡巡したあと悔しそうに言った。
「部長にはかなわないな」
「……素直すぎて怖いんですけど。一体どんな事をやらかしたんですか」
それ以前に、普段から人をどんな目で見ているのだろうか。失礼にもほどがある。
「指導力でも部長にはかなわないしな」
「はいはい。分かりましたから、良さそうなのを選んでくださいね」
軽口には取り合わず、早速眼鏡を物色しつつ私は言った。
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テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学
- 2007/01/07(日) 18:49:38|
- 第二話
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